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勤続30年の私が生について考えた春の日の出来事

パチパチ、パチパチ

鳴り響く拍手。

元気ハツラツとした新人のご挨拶。

さわやかなエネルギーが、遠くからでも伝わってくる。

私は、この組織に新人として入って30年なので、
この新人さんは確実に自分の子世代だな!

なんだか複雑…。

これは、今日の夕方の職場での風景。



今朝は、この風景とは対照的な悲しい知らせがあって、この組織でかわいがってもらった先輩(男性)が3月30日に永眠された。
70代前半。

新人さん(自分の過去)、自分(現在)、先輩(自分の未来)と、ライフサイクルをメタ認知して、世代の移り変わりを体感した1日だった。

命あるもの、平等に歳を重ね、やがていつかは旅立つ。

まだ元気にしてくれていると思っていたのに、もう会えなくなると思うと悲しいな、寂しいな。

彼は、組織を退職された後も、民間企業で要職を歴任されていた。
そして、お休みの日は野菜作りを楽しんでいた。

気さくで、Facebookにもたくさんのお友だちがいて、お誕生日にはメッセージをくれ、「畑に遊びにおいで」と声をかけていただくこともあった。

もう10年近く前になるのか、ある暑い夏の日、家族で畑に遊びに行って、一緒に野菜を収穫して、ご自宅に招いていただいたことがつい先日のことのよう。

カンカン照りの中、私たちより元気だった。

時は過ぎ…、昨年の秋、夫が連絡を取ることがあったらしく、そのとき「畑においで」って誘われ、また行きたいね~と話していたのに。

そう思ったらすぐに行動すればよかったと後悔。

これからは、先延ばしせず、やりたいことはすぐやろう、そう思った。

帰り道でも今日の出来事を思い出し、ライフサイクルについてつらつら思考を巡らせていたとき、50代は自由だと言うけれど確かに自由になったなぁと、そんなことも考えた。

どうして心が自由になったのか、それは、
子育てのひと段落もあるが、私の場合は、生への執着がなくなってきているからだと思う。

20代の頃は、叶えたい夢がたくさんあって、
生に執着しすぎたせいで、逆に精神的に不安定になることがあったから。

元気で長生きしたいけれど、執着はしていない。流れに任せる感じで、いい意味で力が抜けた。
執着を手放すことで自由になった。

そして、執着を手放したのは歳を重ねたから。

そんなことを考えた雨降る春の夜道だった。



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