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vol.5 洞察力を磨け

お客様は、その後も変わることなく来店してくれた。
相変わらずの憎まれ口もそのままだ。
一つだけ変わったことは…
私の仕事に対する考え方だろうか。
プロフェッショナルの仕事ぶりを目の当たりにしたあの日以来、私はこれまで以上に来店客を観察し、自分の動き方を推し量るようになった。
あの事件は私に、
〝商売とは、人間そのものを知ることなんだよ〟
と、教えてくれたような気がしたからだ。


一方、お客様はと言うと…
ある日を境に、

「私はもう死ぬんだから…宝石買っても火葬の時に一緒に燃やすだけなんだから、もう買わないからね!」

と、言い始めた。
減らず口もここまで来たかと思いつつ、

「何を仰っているんですか?縁起でもない。エネルギーが溢れてお顔のお艶も良いようですが?」

私は、敢えて同調せずにそう言った。
お客様は横目で私を睨みつけると、いつもの何とも言いがたい愛くるしい表情を見せた。への字口が我慢出来なくなる時に浮かべるあのにやけ顔はとても印象深く、今でもはっきりと思い出せる。

それからも来店する度、お客様は同じことを言い続けた。始めはいつものことだと思って聞いていた私だったが流石に気になり、

「死ぬ、死ぬってあんまり言われると、本当になったらどうしようと不安になってくるんですけど…」

と、如何にも心配な面持ちでお客様の顔を覗き込んだ。
それを聞いたお客様は、少しの間を置き、

「入院するのよ…」

チラリとこちらを見て、ポツリと言い放った。

「えっ?手術とかですか?」

私が驚きと共に目を見開いて尋ねると、

「検査入院…」

と、またポツリ。

えっ⁉︎

「重病が疑われる検査とかじゃないですよね?」

過ぎった不安を口にした私。
数秒の沈黙が嫌な空気に変わった。
本気で心配になり、お客様の顔をもう一度覗き込もうとした瞬間、小さな声が聞こえた。

「わからん…」

「……………?」

私は、ギャグとも取れるような珍回答にずっこけそうになった。

えーー⁉︎

危うく心の声が漏れそうになったが何とか持ち堪え、

「検査は大事です。病気は早期発見で処置してもらうのが一番ですからね!入院、ご不安ですよね…」

と、体制を立て直しそう言った。
お客様は〝そうなのよー〟と言わんばかりに、ご満悦な表情でこちらを見た。
どうやらこの病名は、〝気にして欲しい病〟だったようだ。

その後、検査入院を終えたお客様は無事に退院して来られた。結果は、不整脈が気になるとのことで、たまの通院が必要になったそうだ。すると、その出来事からお客様にはある変化が訪れた。

それは、検査結果が分かった後から数回来店された頃からのことだった…

お客様の後ろにぴったりと男性が着いて来るようになったのだ。その方の年齢は、お客様と同年代のように見えた。
これまで、ご主人の気配をまるで感じさせなかったお客様。
ご主人もそうだが、家庭や家族をお客様から感じとることが全くなかった私は、勝手な憶測で彼氏が出来たのだと思った。
本当のところを聞きたいのだが、聞くに聞けず、時は過ぎて行った。
その男性の出現にどう対応するべきか最初は戸惑ったが、時と共にその存在は気にならなくなってきた。
何故なら、お買い物をするときもしない時も、お客様自身がその男性の存在を全く気にしていないからだった。
〝これどう思う?〟とか、〝似合うかしら?〟とか、そんな言葉すら交わすこともなく、まるで一人で来店しているかの如く、二人は私達の前で会話をすることがなかった。
分かりやすく言うと、本当にただ着いて来ているような状態だったのだ。
お連れ様とあらば、私達はそこに居る存在を無視する訳にはいかない。お客様と同様にお茶を出し、多少の会話をその方とも交わすようになった。

そんな状況が続いていたある日のことだった。
その男性が物陰から私に手招きをするのだ。私は〝何だろう〟と小首を傾げ、その男性に近づいた。
男性は、キョロキョロと周りを気にしながら私のスーツの袖口に何かを押し付けた。

ん?

袖口から手首に当たった物の感触は、少し硬い紙のような気がした。私は恐る恐る押し付けてある男性の手元を見て目を丸くした。それは、綺麗に折り畳まれた一万円札だったのだ。
〝袖の下〟とは言うが、まさか本当に袖口にお金を差し出されるとは…

「何ですか?これは⁇」

私が声を放つと、男性はシッと鼻に人差し指を立てて黙るような仕草をし、

「いつも良くしてもらっているからお礼。気付かれるから早く閉まって!」

と、お客様の方をチラリと見てそう言った。お客様は、別のスタッフと商品を見て遊んでいる為、気がついていないようだ。

「申し訳ありませんが、受け取れません。そう言う風に思っていただけるのは有難いのですが、何方に対してのことですか?
◯◯様のことでそう思っていただいているのであれば、◯◯様はうちの上お得意様ですので私達がおもてなしするのは当然です。お客様自身のことを仰っておられるのであれば、お客様は◯◯様のお連れ様ですのでお相手させていただいております。
なので、このようなお気遣いは一切必要ありません」

私は、男性の不可解な行動に驚きながらも一気にそう言い放った。
そして、押し付けられた一万円札から袖口を引き離すように身体を背けた。
すると男性は、今度はあからさまに私の手を持ち、その手の平の上に一万円札を置こうとした。
一瞬、眉間に皺が寄りそうになったが何とか表情を取り繕い、男性の目を一直線に見て向き直った私は、

「お客様が◯◯様とご一緒にお越しになられるのであれば、これまでと変わらずお相手はさせていただきます。それ以上にお客様も特別にお相手して欲しいとあらば、うちの宝石を買っていただけませんか?
男性用も素敵な作品がたくさんあるんですよ。是非、ご紹介させてください!」

笑顔を作りそう言った。
すると、自信たっぷりだった男性の表情が瞬く間に歪み、握られていた私の手はゆっくりと解放された。
それから男性は、目を瞑るように視線を下に向け、同時に持っていた一万円札を静かにポケットにしまった。
私はその言葉を最後に一言も発さず、男性を置き去りに売場へと向かい、元の位置へと戻った。
男性は数分遅れてお客様の隣に戻り、何事も無かったかのように佇んでいる。
側から見るといつもの光景のようだが、私の心の中はその男性に対する怪しい気持ちで溢れかえっていた。

お客様とはいったいどういった関係なんだろう…

急激に二人の関係性が気になり始めた。
そうなると居ても立っても居られないのが私の性質。お客様が来店される度、尋ねるチャンスを虎視眈々と狙うようになっていた。

そんな時、思いもかけず違うところから情報が入ってくることとなる。
いつものようにお客様と男性が来店している時のことだった。

「こんにちはー。あれ?貴方もこちらのお得意さんだったの?偶然ねー」

話し掛けたのは、遊びにやって来た顧客様だ。お客様は驚いたようにその方を見て、

「この人が売り付けるもんだから困っちゃってるのよ」

私を睨みつけるような仕草をした後、いつものへの字口をその顧客様に向けた。

「いいじゃない!買える人が買ってあげたら…私はお金無いから、今日は粗品だけもらいに来たのよ」

顧客様はダイレクトメールを販売スタッフの手にポンと渡すと、粗品を持ってくるように促した。販売スタッフから粗品を受け取った顧客様は、

「この方はお金持ちだから、たくさん買ってもらいなさい!じゃ、今日は用事があるから帰るわね」

私の方に向かってそう言うと、座っているお客様に、

「健康食品、また行くでしょ?じゃ!」

と、挨拶をした途端、くるりと背を向け手を振りながら颯爽と帰って行った。
あまりの軽やかな動きと日常用語とも思えない会話に、私は口をあんぐりと開けたまま、遠ざかっていく顧客様の後ろ姿を眺めていた。
ふとお客様を見ると、一人だけ何事も無かったかのような表情で宝石を眺めている。私は慌ててお客様の方へ居住まいを正し、

「◯◯様とお知り合いだったんですね、びっくりしましたー。健康食品のお知り合いなんですか?」

と、聞こえた会話から、その場を取り繕うようにそう言った。
お客様は無言のまま、宝石を見ている。
それには触れられたくなかったのだろうか…あからさまに無視を決め込んだお客様に、これ以上はこの話をするべきではないと感じた私は話題を変え、その日をいつもと同じように終えたのだった。

するとまた別の日に、今度は違う健康食品繋がりの顧客様と遭遇した。顧客様同士がこんなにも顔見知りが多いのかと、こちらの方が驚いたくらいだ。
結局、間接的に健康食品のことを私に知られることとなったお客様。
顧客様方の話しによれば、会議室やアパートの一室を借りて、健康についてのアドバイスを受けながら健康食品や健康グッズを販売する会社があって、そこに通っているのだそうだ。卵や海苔、日用品や食料品も取り扱っているらしい。
その会社は、利用顧客に〝卵を1パック10円で販売〟と書いたダイレクトメールを送るなどして動員をしている様子だった。
詳細を聞けば聞くほど、世の中には、様々な商売があるものだと感心した。
そう言えば、他県でもそのような話しをしていたお客様がいた…
と、その話しは置いておくとして、お客様は検査入院の後、その健康食品の会社に度々訪れるようになっていたらしい。一緒に来店するようになった男性もそこで知り合った可能性が高いようだった。
情報が集まってきた丁度その頃だった。

その日、ここ最近では珍しくお客様は一人で来店された。
このチャンスを逃す手はない。

「◯◯様、いらっしゃいませ。今日はお一人なんですね」

 そう言った後、私はすかさず、

「最近、ご一緒にお越しになられる方は、◯◯様の昔からのお友達なんですか?」

と、切り出した。
唐突ではあるが、このタイミングを逃すとより不自然だ。お客様は一瞬こちらを見たが、そのまま明後日の方向を向いた。
少し間をおきその答えを待っていたが、一向に問いに答える様子はない。
やはり、この話題には触れられたくないのだろうか…
通常ならばここで話題を変えるのだが、この日の私はもう一歩踏み込んで話し掛けてみた。

「いつもご一緒にお越しになられるので、ボディガードみたいですよね。不整脈が心配ですので、◯◯様の近くに居てくれる方がいらしたら私も安心です」

すると、この内容にはお客様に反応が見受けられた。少し表情が柔らかくなり、上目遣いでこちらを見ると、

「健康食品で知り合ったの」

と、お客様。

「健康を気遣うことも大切ですよね。なんだか大変人気の会社さんみたいで、うちの顧客様があんなに利用されていると知ってびっくりしましたー。そんなに良いものをお取り扱いされているんですか?」

私がそう尋ねると、

「あんなの気休めよ!分かってて行ってるんだからねー?」

正面で会話をしている私にではなく、どこか遠くを見るように、お客様は疑問符のままの言葉を呟くように放った。
その表情を見ながら、お客様の身体の現状と年齢を頭の中に思い浮かべた私は、その言葉は自身に向けたものなんだろうと察した。歳を重ね、体力の低下と共に襲ってくる病気への不安がひしひしと伝わってくるようだった。
頑なに健康食品の件を知られないようにしていたのは、〝安直な考えだと思われたくない〟〝そこにすがっているように見えたくない〟そんな気持ちからだったのかもしれない…
お客様がそれほどに気位の高い方だと思えば、これまでの態度の全てが納得できる。
私は、健康食品の会社に通うお客様を肯定するつもりで、

「健康に気遣いながら、お友達もそちらで出来たのでしたら良かったじゃないですか…」

と、会話の矛先を男性の存在へと向けた。
自分が聞きたかったメインの話し(お客様と男性の関係)どころか、お客様の心理的なマイナス要因を取り除く為に、男性の存在で会話を助けられるとは思いもしなかった。
その言葉を聞いたお客様は、私をチラッと横目で見た後、吐き捨てる吐息のような笑いと共に目線を斜め下に向けた。
〝何言ってるのよ〟そんな言葉が耳元で聞こえたような気がした。

深みに嵌った?

男性の不可解な行動に怪しさを感じ、お客様を心配するが故に探偵気取りでその関係性を探ろうとして、本来の仕事をまた踏み外そうとしている…
私達の仕事は、歳を重ねたお客様に〝老い〟を感じさせることなく、お買い物を楽しんでもらうことだ。
このままでは、そうありたいと望むお客様の期待を裏切ってしまう。
そう思った。
私は沈黙を搔き消すように、

「あ、お友達じゃなくて、ボディガードでしたね」

精一杯、明るく務めそう言った。
どのフレーズであれば、お客様が理想的な自分で居られるのかを考えた結果、一番適切なものを選択したつもりだった。
すると…
斜め下を向いていたお客様の顔が静かに上がり、私の目を見てにっこりと笑った。
その笑顔は、これまで見せたことがないくらい爽やかだった。
この言葉はお客様の気持ちを晴れやかにさせたようで、私は踏み込んだ泥沼から何とか這い上がることが出来た。
お客様と関わることによって、毎回、得るものが大きいと感じる瞬間だった。最早、お客様の存在は、接客業に身を置く私を試し、教育してくれているかのように思えていた。

そして、このボディガードと言う単語は、お客様と男性との関係性を正に示していたのだと、後に知ることとなるのだった…


〜続く〜







百貨店を舞台に、出逢えたお客様に販売を通して教えてもらった数々の〝気づき〟による自身の成長記録と、歳を重ねた方々の生き方を綴っています。出会った順で更新していますので、私自身が少しずつ成長していく変化を楽しみながら百貨店の魅力も感じて頂けたら幸いです。 日曜日に更新します!