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「転妻生活」の「もやもや」について、言語化をはじめました。

このブログは、今までの自分の「転妻生活」を踏まえ、今後どうやって「自分の軸」を保ちながら生きていくのかを言語化しようと考え、noteに書き始めました。

自己紹介

どうも初めまして、転がるてんつま「きいべつ」と申します。
このブログを読みに来て頂き、本当にありがとうございます!

私は、今年結婚12年目の主婦で、39歳2児の母です。
今は、隙間時間に在宅で仕事をし、地域で生活する外国人ママと子供の居場所づくりのボランティアに携わる生活をしています。

趣味は、ハンドメイドと、激しめのバンドの音楽を聴くこと。
さらに子供を産み、電動ママチャリという最高の装備を手に入れてからは、ママチャリでの徘徊も趣味に加わりました。
私の自転車の趣味は、決してビア〇キのようなシュッとした自転車ではなく、あくまでも電動アシストが付いた、後ろに子供用シートが取り付けられた、あの最高な自転車に乗ること。
そして行けるところまでどこまでも行くのです。子供の送迎、買い物、自分の活動など、15~16kmほど走り回る日もあります。
そして自転車を漕ぎまくる間、脳内で古今東西のイカツいバンドの音が再生されています。自転車を漕いでいる間は、危ないのでイヤホンはしない派です。

話の本筋に戻りますが、現在そんな子育てを中心に生活する私は、「転妻」という生き方をしてきた主婦でもあります。

これまでの結婚生活は、夫の仕事の都合により、短くて半年、長くて2~3年のサイクルで引っ越しを繰り返してきて、いわゆる転勤族のような生活を送ってきました。

なぜ「転勤族のような」とあえて書いていることについては、また後々のブログでお伝えさせていただければと思います。

「転妻生活」の経緯

世間では、「転勤妻」の略語で「転妻」と度々言われることもありますが、私の言う「転妻」とは、「転がる妻」のこと。そう私はまさに、夫の「転勤・転職」というイベントで、サイコロのように盛大に「転がってきた妻」です。

11年前に夫の海外転勤がきっかけとなり、「転妻人生」が始まりました。

私の転がる生活は、東京→中国(上海)→千葉→長野→大阪と様々な場所に拠点を移してきました。12年間で国内外、6回の引っ越しを経験しています。
繰り返される引っ越し生活の中で、2児を出産し、育児と家事に奮闘する日々。

振り返ると私の30代は、家族をサポートする立場の10年間でした。
結婚当初は東京に住んでおり、自分も仕事をしていました。しかし、その後専業主婦になり、転妻生活がこんなにも長期に及ぶなど、当時の私は予想もしていませんでした。

「もやもや」のはじまり

引越しはいつも突然でした。
「次、◯月から、◯◯へ行くことになった。」
夫がある日、唐突にそう告げるのです。

夫の転勤・転職のタイミングは自分では選べない。でもそれについて行くという最終的な判断は、いつも自分で決めてきました。自分で選んでここにいる。私は、そう納得して新天地を一歩ずつ進んできました。

暮らしの拠点を転々とし、古巣から新居への住み替えを何度も行う日々。私の30代は、まるで人生のスクラップ&ビルドのような時代でした。

毎回新しい場所で、ゼロから暮らしを組み立てていくことから始まる、というサイクルを何度も繰り返してきました。
新しい環境は、刺激もあり、楽しくもあり発見の毎日です。

でも周期が早い人生の新陳代謝は、とてもエネルギーが必要であり、私の中で何かが削られ枯渇していくのがわかりました。
自分で納得して選んだ道にいても、自分は満たされた気持ちで生きていなかったのかもしれません。

繰り返す引越し生活は、諸行無常そのもので、唐突な変化の反復にとうとう耐えらなくなり、やがて私の心は消化不良を起こし始めていました。
少しづつ私の中に圧迫感を伴った何か「もやもや」したものが内側から湧き出てくるようになっていたのです。

何かで満たしたかったはずの自分の器の中に、その「もやもや」は流れ込み、はびこり始めていました。

「もやもや」に抗い、ジタバタする

日々膨らむ「もやもや」。でも私は、それに対して何も対策してこなかったわけではありません。ただひたすらに抗うごとく、何かに打ち込み、そしてジタバタしていました。

最初の転勤に帯同した中国での暮らしでは、中国語の語学レベル0からのスタートでした。全く興味のなかった言語だったのですが、ある事件を境に、当時1歳だった1人目の子の育児の傍ら、語学の勉強を中心に打ち込む生活が始まります。

またその後日本に戻り、2人目の子供を授かった後の生活でも、何か自分の糧が欲しくて、ハンドメイド作品の販売を行ったりしていました。そして1人目の子は、幼稚園児に成長しており、私は子供に絵本が好きになってほしくて、絵本の読み聞かせをする絵本サークルの活動に携わりました。

でも慣れてきた頃に、突然環境の変化を求められました。そこで何かに夢中になっても、生活が大きく変わると強制リセット状態が発動し、自分の行ってきた活動が止まってしまったり、せっかく築いた人間関係が疎遠になってしまったりしてきました。

家族中心の生活を選んだ以上、それは仕方のないことなのかもしれません。しかしそれを受け止めきれなくなってきた時期があり、「もやもや」は成長を続けていたのです。

今は、かつて小さかった子供達も成長し、2人目の子供がこの春に小学校へ入学します。
私はこれまでの経験から、夫の転勤・転職に振り回されない生き方を模索して、昨年より在宅での仕事を始め、かつて学んだ語学(中国語)を生かしボランティアをする生活に「自分の軸」を定めました。

自分の「転妻生活」をちゃんと肯定したい

現在39歳なので、30代の時間も残りわずかになりました。
「自分の軸」を定めてもなお、心にはびこる「もやもや」は、時々ふと顔を出します。
自分なりに「もやもや」と対峙して、清算し、スッキリとした心持ちで新たな40代を迎えたいと考えるようになりました。

これまでの10年間の引越し生活で、自分なりに育児と家事、語学や様々な活動に対して、奮闘した記憶はあるのに、達成感という手応えを感じてなかったことに気づいたのです。
それによって、漠然とした鬱憤が生まれていきているようでした。

何に「もやもや」しているのか、一つずつ洗い出して、向き合ってみようと思いました。

しんどいけれど、この作業をしないと今までの10年間を、心から肯定できないような気がします。
そして「もやもや」を言語化し、全て出し切った先に、今後10年の指針を見出すことができるのではと考えているのです。

私は8月末の生まれなので、残りあと半年の30代の時間を大切に生きながら、このnoteへ自分の気持ちを綴っていこうと思います。

ここまでお読み頂き、本当にありがとうございました。
もしこれを読んでいてくれる人の中に、
自分と似たような境遇の引っ越しを繰り返してる転勤族の方や、
現在専業主婦(主夫)をしているという方、
私と同じように40代からの生き方を模索してますという方がいたら、
ここに書く、私の現在進行形の挑戦記や失敗談を見て、時には笑ったり、孤軍奮闘軍(笑)は自分だけじゃなかったんだと確認して頂けると幸いです。
そして、このNoteを通してささやかな繋がりができたら嬉しいなと考えています。
では、これからどうぞよろしくお願いいたします。


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