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英会話の現実を思い知る

先日から、米国のとある会社とやりとりをしています。
2020まで米国滞在の残作業のようなものです。

いつも第二外国語が英語かなと思われる
インド系の方たち対応してくださります。

今回は、2部門2名のインド英語と対峙、
私が感じる聞き取りにくい典型的な話し方でした。

CAMBLYを2年近く続けていることもあり、その腕試しにもなったかなと思うので
その辺も合わせて書いていきたいと思います。


清々しいその自信はどこから

私は、自分の拙い英語を聞いてもらうのが心苦しいと常に思っているようで
「こんな英語でごめんなさい、私はこんなことが言いたいのです。」
と”ごめんなさい”を枕詞にしてしまいがちです。
もっと流暢だったら…と思ってしまって、ついつい謙ってしまったり。
よく言えば謙虚、悪く言えば主張力は低いとも取られがち。

(もちろんそうしないと仕事にならないのは承知の上ですが)
今回2人の方と話していて、それを全く感じなかったのです。
寧ろ、これが英語というような自信。

私の英語こそ、聞き取りづらくてごめんなさいね、的な要素は一切なく
逆にそれが清々しいくらいにかっこよかったのです。
その自信が欲しいとつくづく思ったのは言うまでもありません。


レッスンとリアルの違い

言わずもがなですが、
レッスンで話すのとリアルでは全く違います。
シチュエーションも違うし、緊張の度合いも全く違います。

更に先生たちは、
生徒の英語に慣れているし、
対応力も全然違ってこちらの英語が伝わりやすい。
更に同じ先生と回を重ねて話していれば、先生も自分も相手が言ってることをより予測しやすいのではと思っています。

今回のように、
初めて会う人に
電話だけで
自己主張をする
このような状況だと、レッスンで使っている英語はほとんど役に立たないと感じました。


レッスンは無意味だった?

1.5Hの会話中
わかりません
もう一度言ってください
もっと簡単な英語で
これを何度も繰り返しました。
先ほどレッスンで使っている英語はほとんど役に立たなかったと言いましたが
今後のレッスンは不要とは思いませんでした。
逆によりしっかりと続けようと思っています。
寧ろ、CAMBLYではわからない事を、”わからない”と何度も何度も言えるメンタルは鍛えられたと感じています。

以前の私は、こんな感じなのかな?と推測して、理解したつもりになっていたけれど
きちんと聞き直すようになりました。
それだけでも自分にとってはかなりの進歩です。

また、口に出せるようになった英文法は随分と増えました。
今回、完了形を何度か使えたのは大きな収穫です。


余談ですが、もっと簡単な英語でお願いしますと言って
相手がより難しい(私が理解できない)英単語を使ってくる、なんてことも多々ありました。
その時も、わかりませんと言い続けるメンタル、大切です。


最後に

数週間で英語が話せるように…という夢のようなフレーズ。
英語が話せる定義は人それぞれ。
私の話せるはまだまだ先。

電話を切った直後は、疲労度が高く
もっと英語ができると思っていたのに、と自分にがっかりもしたのですが
こうやってnoteに書いてみると、少し上達した部分もあったと気づきました。

自信を持ちすぎる必要はないと思うのですが、
卑下しすぎるのはもっと良くないと思っています。
このとても小さな前進を励みにして
これからも積み重ねていきたいと思います。

拙いお話にお付き合いいただきありがとうございました。
あなたの一日が素晴らしいものとなりますように。

Miee

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