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死に瀕してみて

前のnote読んでくださった方はご存知かと思いますが、先日脳卒中で倒れて、誇張抜きで死にかけました。誕生日直前に不幸すぎる。1/25で23歳になりました。

病名は脳静脈洞血栓症。あと少しで脳出血するところだったって。危ない。原因はおそらくピルと脱水症状。倒れる2日前に飲み会で牡蠣に当たったんですよね。一緒にいた人誰も当たってなかったのに私だけ……(運悪すぎない?)。それで吐きまくって翌日翌々日も体調悪くって、ご飯も水もあまり取らないでいたらこんなことに。

ピルユーザーの血栓症リスクより妊娠とかの方がよっぽど危ないのでピル飲んでる人はビビりすぎないで、必要なら飲んだ方がいい。私はババ引いただけ。でも水いっぱい飲んだ方がいいね。死にたくないのでほんとに頑張って水飲む。水分補給がほんとに苦手で苦しい……。実はここ1年ぐらい水分補給の練習してて、ちょっとは得意になってきたと思ってたんだけどねえ。

わたしの人生は幼い頃からずっと苦痛に塗れていて、苦しみの中にわずかな楽しみと大きすぎる義務感があって、それだけがわたしを現世に引き止める楔だった。人生通して死にたいと思わなかった日の方がおそらくは少なくて、精神科に通ってしっかり抗うつ剤飲んで数多の努力をしてようやく、ようやく、ここ最近生きるということは恵みであるとやっと理解し始めたところだった。徐々に徐々に変性してきていた死生観に対する、突然の衝撃。わたしは、一回死に瀕してみて、逆に生きることの恵みがまたわからなくなった。

今でも大きな苦しみというものはある。思い出すだけではらわたが煮え繰り返って叫び出しそうになる記憶もある。これはむしろいいことで、わたしはそれらの出来事に対する怒りや恨みという感情を奪われていたから、それを精神の回復と共にやっと取り戻したのだ、と思う。でも、ちょっと今年の年始は不幸にすぎた。哀れなぐらいだ。哀れなぐらい不幸だと思っていたら、突然意識を失って緊急入院。哀れどころではない。

この哀れな人生に、たまたま生き残って星になり損ねただけのちっぽけな人生になんの価値があるのか、と思う。私の精神の回復の上で最も重要だったのは、私を現世に結びつけていた呪い……ヤングケアラーであったが故に抱えてきた大きな義務感を解いてゆくことだった。それは、健全な精神を保ちながらでないとできない、やってはいけない。その楔がなくなった時、わたしは死へと向かいたがるからだ。だから、うつの治療を本格的に始めて何ヶ月も経って最近ようやく、もういいかと思って解き始めたのに……すべてのタイミングが悪い。じゃああのとき死んでしまってもよかったじゃないか、と、死に瀕したからこそ、本当の希死念慮が襲ってくることがある。それが恐ろしい。私は死が怖い。死にたくない。でも死にたくなることがある、そういう病気を持っている。怖い。今まで当たり前すぎて気がついていなかったが、希死念慮という感情は、怖い。

一命を取り留めることができて良かったと、1日の9割の時間は本当に、心の底から神に感謝している。実際担架で運ばれながら、主の祈りを頭の中で唱えることすら難しいぐらい頭が働かない中で、ろくに動かない震えた手でわたしは小さく十字を切ったのだ。その後頭が回復してからは真っ先に主の祈りを脳内で再生した。わたしは教会にも通ってなくて不勉強だから、主の祈り以外覚えていない。もっとちょうどいい祈りがあるのかもしれないけど知らない。から、祈りの手帳を買うことに決めた。聖書も読んでるしそこにもこういう時はここ読んでねってレファレンスあるけど、お祈り用のやつも欲しいよね。あと、教会にもやはり早く行かなくちゃと思った。実家の周りは寺ばかりな上交通の便が少し悪いから、療養を終えて一人暮らしの家に帰ってから探そうと思っていたけれど、死んだら何もかも遅いのだ。だから生きていてよかった。そう思うのに……そう思っている。これは嘘じゃない。

意識を失った時の記憶が全くない。突然パンっと、電源を抜くように死ぬことができるなら、あの時みたいになれるなら、それでいいんじゃないかと思ってしまう夜がある。生きていてよかったという気持ちと激しい希死念慮は両立する。色々あって、わたしは今自己肯定感が下がりに下がっている。自分に何の価値も感じられない。

わたしは母の娘であり、弟と妹の姉であり、恋人の恋人であり……。それはわたしを縛る枷にもなるかもしれないけれど、同時に何にもかえられない幸だと思う。

『自由と幸』より

昔に書いたこの文章。この枷は愛おしい呪いだ。それを一つ一つわたしは解いた。母や弟妹のためだけに人生を捧げる必要はない。お金も、労力も、魂も、何もかも彼らに捧げようとしていたことは異常だったのだと今ならばわかる。彼らが悪いわけじゃない。わたしが献身的で依存的にすぎるだけだ。恋愛でだってそうだ。わたしはいつも、誰かに依存して誰かのために頑張ることでしか人生を上向かせることができなかった。わたし自身の力で成し遂げたことなんか、ひとつだってない、強いていうなら絵が上手いぐらい?(溢れ出る自信)

だから、色んな枷から逃れて、離れたくなかったものからも離れて、ひとりぼっちになっちゃった今(本当はひとりぼっちじゃないのはわかっている)、簡単に死への渇望が襲ってくる。でも同時に、死にたくない、何が何でも生きていたい、そう強く強く願った時の記憶も鮮やかだ。退院直前のMRIを見て涙が出そうになった。入院時には全く映らなかった血管がしっかり写っている。5日間ぶっ通しで点滴と投薬を続けてもらったおかげで。わたしは生きてるって毎朝確認するのが癖になったり、健康に良さそうな飲み物(トマトジュースとか特茶とか……)を飲み始めてみたり、毎日5000歩以上歩くのを目標にしたり(いずれ1万にしたい)、元々健康に気を遣ってたつもりだけど更に気遣うようになった。どれだけやっても元々体が弱いのだから焼け石に水かもしれないけれど、それでもやらないままでまたこうなったらきっと後悔するからやるしかない。こんなことしてるくせに、合間合間に死にたいとさめざめ泣いている。

というわけで、いつ本当に病気で死ぬかもしれないし、事故で死ぬかもしれないし、希死念慮で死ぬかもしれないし、とにかくわたしにとって死はより身近なものになった。ので……

じゃーん

kawaiiエンディングノートを作りました。

エンディングノートがデコってあったら面白くないですか?

面白いですよね。

没バージョン

最初はストーンで文字を書いていたのですが、読みづらすぎて有事の時すぐにエンディングノートだと気づいてもらえない可能性があり、実用性に欠けるという理由で没になりました。ちなみにNがИになってるのは、(1)Nだと石をバランスよく配置できなくて、鏡文字ならバランス多少崩れてても気にならない気がした (2)鏡文字ってなんかデコってますよ感出ておどけててかわいい という理由です。

使ったシールは全部ダイソー。リボンはダイソーのリボンから自分で作りました。誕生日の翌日にエンディングノートを作る人生、なんなんでしょうね。すごく生命を感じる。

星型のシールでデコる遺言書ひらかれるときそこにいるから

エンディングノートを作ってたとき思いついた短歌です。大したものじゃないのでツイートはしないでここにそっと載せときます(連作とか作れたら載せるかも)。

中身はこれから徐々に充実させていく予定です。お金の場所とか、連絡して欲しい人とか、あとちゃんとした法的拘束力のある遺言書も作るつもりです。弟妹と祖母にもお金をすこしあげたい、父には一切の財産を渡したくない、と書くつもりです。相続廃除って大変らしいんですけど、きっちりやりたい。父を憐れんだ家族がわたしの遺産から勝手に父へ融資をするなら好きにしたらいいですが、わたしからの金というのをあげたくない。生きてるうちに散々色々なものを奪われてきた。死後にまで奪われたくありませんからね。

とにかく、死に瀕してみて、死生観がほんと変わりました。何というか、さっきも言ったとおり、死が身近になりすぎました。今は第二の人生、貰い物の人生です。毎日生きていることがラッキー(あるいはアンラッキー)でしかない。本気でそう思う。

今日は弱い頭痛だけで怖くて仕事休んだ。経過観察のために痛み止めも飲まず、頭痛いなあ重いなあ嫌だなと思いながら、寝るのも怖くてできずに。治ってきてから散歩をして、ローソンで特茶買って飲んでさ、dポイントカード提示しました。ウケる。死ぬかもって思っててもポイントカードは出す。特茶の選べるポイントもらえるキャンペーンみたいなのにも参加する。ウケますね。ポイ活好きなんだよね。数字が増えてくのがクッキークリッカーみたいな楽しさあるから。貯金も同じ理由で結構好きですが、なんせ給料少ないのでうまくいきませんね。

明日は精神科行ってお散歩して帰ったら自分への誕生日プレゼントとして購入した高級キーボード(HHKBというやつです)使ってエンディングノートの内容でも考えようかなと思います。あとmikan(英単語アプリ)もやります。明日で70日継続です。入院したその日にもやったからね。継続への執念。課金してますからね。しっかり使わないとね。

もう寝なきゃね。怖くて眠れなかった。でも寝ます。おやすみなさい。明日も目を覚ませますように。

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