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再生不良性貧血が寛解するまでの10年をざっとご紹介♪


【2010年3月】

仕事中、手の甲に巨大なアザが出現。翌日病院へ。
その場で絶対安静を言い渡され、その日から引き継ぎもできないまま休職。
骨髄穿刺などの検査結果を経て、2週間後には再生不良性貧血のstage 4と診断される。

アザができる1ヶ月前は軽井沢でスキーをしていた。
1週間前はスポーツクラブで泳いでいた。
自覚症状は、激しい肩こりのみ。
その肩こりは営業用の重い荷物のせいだと思っていた。
肩凝りは貧血によくある症状とのこと。
知らなかった…

当時、暴飲暴食をすることもなかったし、適度に運動もしていた。
1年前に転職したばかりの仕事は、ようやく面白くなってきたところ。
上司からの信頼も得られ、良い意味でのストレスしかなかった。
ちなみに、入社時の健康診断では、再診項目があったものの特に問題なし。

病気というものは、なる時はなるもの。
日頃の行いも関係あったり、なかったり…
でも、人は何かしら原因を突き止めたがる。原因が分からないと納得できない性分らしい。

私も「なんでなんでなんで…」
「どうしよう、どうしよう、どうしよう…」
と考え続けて、ノイローゼ。
完全にダークサイドに堕ちた。
当然、精神科のお世話にもなる。
その頃、心理学も学び始める。

【2012年】 
罹患してから2年。
きっと、もう治らないんだな…
と腹をくくって、人生のエンディング準備。

どうして病気になった?
なんてどちらでも良くなり、
どうしよう…
という悩みもなくなった。

過去なんかどっちでもいい、残された時間をどう生きるかに意識が向いた途端に数値上昇。
死なない程度の数値をキープ。
そのまま4年くらい過ごす。

定期的に輸血をしながらの生活。
フルタイムの勤務が不可能だったため、就労支援施設で仕事をさせてもらった。
施設の利用者、支援を受けるという立場ではあったけれど、わずかながらお給料もいただいていた。

【2016年】
就労支援を行なっていたIT企業本体の業績が悪化。
就労支援施設が次々と閉所においやられた。
その様子を当時本社から請け負っていた仕事を通して目の当たりにする。
しかも、こともあろうに、一番閉めてはいけない地方の事業所から順次閉所。
現場からの悲鳴が聞こえてくるようだった。
内部機密に触れるその業務は、本来、私のように当事者でもある施設の一利用者が請け負ってはいけない仕事であるはず…
何度か訴えたが、代わりがいないとの理由で1年間続けてしまった。

【2017年】
年明けからリストラが本格化。
会社の雰囲気が一変。
私が入社した温かい会社とはまるで違う会社になってしまった。
支援を受けなければ仕事ができない障害者たちは、今後どうなるのか…
とうとう私は心を病んでしまった…
自主退職を選ぶ。

一時、ものが食べられなくなり、ドクターから入院を勧められるほどに悪化。体重も10㎏減ってしまった。

完全に壊れた。
もう一生元には戻らないかも…と思い始めたそんな折、血液内科の主治医の勧めで病院を変えることとなった。
途端に回復。
2017年の秋には、完全に回復してしまった。
心がボロボロになったら、身体もボロボロになるのかと思いきや、心を病んでいる間もなぜか血液数値はずっと右肩上がり。
回復し続けていた。

【2018年】
元気が止まらない😳
心身ともに元通り以上になってしまった。
むしろ、8年前の病気罹患前よりも元気。
治らないと思っていた難病が…
一生ど貧血のままで過ごすと思っていた血液が…
ほぼ正常に…😳

仕事の方も、見つかるも何も…
突然目の前にやらなければならないことが現れた。
親族が経営する歌舞伎町のテナントビルが廃業せずに残っており、経営陣高齢のため代替わりの時期を迎えていた。
築60年のツワモノ…
そんなビル、どう接していいのか分からない。
仕方なく従兄弟同志で嫌々始めた仕事。
なぜか「毎日楽しそうだね☺️」とよく人から言われた。
再生不良性貧血になってから、罹患前の1/5程度になっていた収入もようやく人並みに。

【2020年】
コロナ禍。
歌舞伎町の繁華街に位置するテナントビル。
無事に乗り切る。
事業的には順調。

私の再生不良性貧血は、寛解。
血液検査の値が全て正常値。
健常者と変わらない。

まさか、自分が50歳まで生きるとは思わなかった…
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なぜ病気になったのかも分からなければ、なぜ治ったのかも分からない…
病気になる時はなるし、治る時は治る。
原因がわかるのなら、それに越したことはありません。
ただ、そうでない場合は、状況に振り回されず、臨機応変に自分の人生を生きられれば、きっとそれでいいのだと思う。
今思うと、環境、状況は幸・不幸にはあまり関係がなかった。

入院中、寝たきりの時、信頼できるドクターとナースさんに囲まれ、私はなんて恵まれているのだろう、と幸せを噛み締めたこともある。
ほぼ健康体になったにも関わらず、どん底を味わったこともある。

状況にブンブン振り回され、自分を見失っていた時が一番苦しかった。
本来、物事に良し悪しなどなく、どちらかを決めているのはどうやら自分。
今、目の前に現れている状況は、全て自分の選択の結果。
今の状況を幸せと捉えるか、不幸と捉えるかも自分の選択。
楽しく生きようと思えば、いくらでも楽しく生きられる。

それに気づかなかった頃は、どうしても原因を突き止めたくて、スピリチュアル系に走ったこともある。
原因がわかれば、解決できる。
解決法がなければ、諦められる。
スピ系に頼ることは、自分で解決法を探さずに、他人に自分の人生の選択を委ねてしまうのと同じこと。
どうしても苦しい時、心を落ち着かせるための一時的な避難場所として、あるいは角度を変えて物事をみるための手段として、スピリチュアル的な考え方はいいかもしれない。
ただ、スピリチュアルにより答えのようなものが出たと信じてしまうと、その瞬間からスピ依存が始まる。
スピに依存し、自分の人生を他のものに委ねてしまうのはもったいない。
みんなせっかく考える力を持っているのだから、その力は使った方が人生楽しめる。
人生は、今流行りの謎解き、もしくは、RPG、集まれどうぶつの森みたいなものだから(笑)
人生はどうなるかわからないゲーム(笑)
過程を大いに楽しめばいい♪

現在、私のミッションは介護。
私が良くなったと思ったら、同居の母が認知症…
今は、次々と現れる安定のサプライズに辟易としながら過ごす日々。

目の前に現れる現象が、全てラスボス級な人生ってどうよ…
とたまに思ったりもする。
でも、どうして?なんて非生産的なことは考えても仕方がない。
ただただ、目の前のラスボスを倒し、難題をクリアしていくのみ!

ちなみに、「どうして?」とは思いませんが、「マジかーーー!!!」とは思います、普通に(笑)

こうしてせっかく体験して分かったことを、これからも忘れずに生きていけたら良いのだけれど〜♪


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