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日本の女性医師のパイオニア宇良田唯 〜生誕150年〜

石原あえか『ドクトルたちの奮闘記』(慶應義塾大学出版会)を読んだ。

宇良田唯について書いた本を読みたかったからだ。宇良田唯は明治〜昭和初期頃の女性医師。日本初の女性医師の一人である。宇良田唯について書かれた本を読みたいと思っていたがなかなかなくて、やっと見つけたのがこの『ドクトルたちの奮闘記』だった。

この本は副題が「ゲーテが導く日独医学交流」なので、宇良田唯だけではなく、幅広く日本とドイツの医学交流の歴史を扱っている。文学者である著者がわくわく楽しみながら書いている雰囲気が伝わってきておもしろい。

宇良田唯は1873(明治六)年に熊本県天草地方に生まれた。子どもの頃から学問を好み、結婚よりも勉強がしたいと思った宇良田唯は、結婚式の最中に失踪したという強烈なエピソードも残っている。若いころから型破りな性格だったようだ。

東京に行って北里柴三郎に師事。ドイツのマールブルク大学に留学してドイツの医師資格である「ドクトル」の資格を取得する。これは女性として初めてのことであった。日本人女性として初ではなく、女性として初であった。

また中国にわたり、医院を開設し、その地で医療に携わった。

この中国時代における次のエピソードが私は好きだ。

彼女の病院に来る患者は日本人に限らず、ヨーロッパ出身および地元中国の人も多かった。宇良田はそのいずれにも通訳なしで、患者によって英語、ドイツ語、日本語、中国語をよどみなく使いわけ、対応・診療した。また日本人が圧倒的優位の時代に、中国人を差別することなく診察する彼女は、中国の人々に「女神様」と呼ばれ、敬慕の対象とされた。特に男性に肌を見せぬ習慣があった中国富裕層階級の夫人達もよく受診したが、そんな時も第一夫人を差し置いて、まず一番具合の悪そうな第四夫人から診察したとか、あるいは貧しい患者を往診して、診療費を取る代わりにお金を置いてきたとかいうエピソードが残る

医者を志す者は昔はこういう人たちだったのだろうが、現代では随分と変わり果ててしまった。

宇良田唯は、医師と言えば男性(特に日本では)、という時代に女性として進むのが難しい道を切り拓いてきた。前例がないのだから相当険しい道だったにちがいない。

日本初の女性医師は荻野吟子か楠本イネか分からないが、宇良田唯もまた初期の頃の医師の一人であることは間違いない。高橋瑞とともに、私の好きな女性医師のパイオニアの一人だ。『ドクトルたちの奮闘記』には高橋瑞の話も載っている。

来年は千円札に北里柴三郎が登場する。弟子の野口英世と順番が逆ではないか、と思わないでもないが。北里柴三郎にスポットライトが当たるのならば、その弟子の宇良田唯ももっと知られてほしい。

宇良田唯が留学したドイツのマールブルク大学には、同大学史上初めての女性医師に敬意を表して、彼女の名前を冠した「宇良田唯広場」という広場がある。


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