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理想主義のドイツ人と現実主義の日本人

ドイツ人と日本人の国民性は対極にある。

ドイツ人と日本人は似ている、とよく言われる。勤勉で真面目なところ、法律を守るところ、時間を守るところ、等々。

一方で、私はドイツ人と日本人は真逆でもあると思う。ドイツ人は理想主義者で日本人は現実主義者だ。この点においてはドイツ人と日本人は対極に位置している。

ドイツがいま凋落しているのは現実を見ずに理想ばかり追い求めているからだ、という説をネット上のどこかで見た。ドイツという国がいま本当に凋落しているのかという真偽はさておき、その人はドイツ凋落の原因をドイツ人の理想主義者っぷりに見ていた。地球環境に悪いものをどんどん排除していった結果、生活が不便になったり経済が停滞したり、原発をなくしてしまった結果、電力不足に陥ったり電気代が高騰して生活を圧迫したり、ドイツ人は全然現実を見ていない、というわけだ。

では、その真反対の現実主義者の国・日本は凋落していないのだろうか。そんなことはない。日本もまた凋落している。私たち日本人は四六時中現実ばかり見ているのにもかかわらずどんどん凋落している。してみると凋落の原因は現実を見ているか理想を見ているかの違いにはない。

たしかにドイツ人は環境問題にうるさいイメージがある。国民全体で環境問題に熱心に取り組んでいる。日本人の場合は“現実”を見ている。世界の流れや時代の流れである。「今やもう炭素の問題は無視できなくなってきましたね。我が社もそろそろ本腰を入れて環境問題に取り組まないと世界の流れから取り残されていってしまいますね」。日本人が気にしているのは「そういう世の中になってきた」ということである。何が今の時代の常識になってきているのかを見極め、それに合わせようとする。地球環境をよくしたいのではなく、時代の常識に合わせたい、のである。ドイツ人は違う。ドイツ人は地球環境をよくしたいと本気で思っている。

ヨーロッパ人全体がアジア人とくらべると理想主義的であるが、特にドイツ人はその傾向が強い。環境問題に対して世界一先進的に取り組んでいるのも、それが「トレンドだから」ではなく、「地球環境を守るべき」という理念を多くの国民が抱いているから。チェルノブイリやフクシマの事故を受け、原発も廃止し新エネルギーに舵を切っている。他の国はせいぜい「新規の建設は止めましょう」か「少し減らしましょう」くらいで済ますところを「ゼロにしましょう」と言うのは、それだけ理想が高いということだ。

ドイツ人のこういう理想・理念は必ずしも正しいとは限らない。歴史を振り返れば間違っていることも多々あるし、失敗に至ることも多々ある。それでも私はこうした理想主義的な国民性を羨ましく思う。

たしかにドイツ人に対しては「理想もいいけどもう少し現実も見ましょうね」と言う必要があるかもしれない。だが日本人は極端に現実ばかり見すぎだ。

日本人の「現実主義」は「現実後追い(追認)主義」である。戦争一つとってみても、日本人には「戦争をするべき」という理想も「戦争は止めるべき」という理想もない。あるのは現実の後追いだけ。戦争中は「戦争があるのは常識だ」と言い、戦争がない時期は「戦争はないのが普通だ」と言う。

世界中の国々が原発を稼働させている時期は「原発があるのは普通だ」と言い、世界中の国々が原発を廃止したら「原発は廃止するのが今や時代の常識だ」と言う。「原発を使うべき」という理想も「原発は廃止すべき」という理想も日本人は持っていない。

理想がないということは言い換えれば哲学がないということである。哲学や理想がなければ、毎日どっちの方向を目指してがんばっているのかが分からない。「日々のくらしだよ」「毎日がんばって生きていかなくちゃいけないじゃないか」と日本人は言う。「生きるために毎日がんばって生きている」という、よく分からない漫然とした生き方が日本人の生き方だ。「日常」、「常識」、「普通」をとても大切にする。

日本では理想を語ることがとても難しい。「でも現実問題として、」とか「そんなの理想論ですよ」という反論がすぐに返ってくるから。

ドイツ人はたしかにもう少し現実を見るべきかもしれないが、日本人はもう少し理想を思い描き、語るべきだろう。

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