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ひこうき雲

最近、知り合いや知り合いでない人の急死をたまたまSNSで立て続けに見て私にとって初めての身近な存在の急死のことを書いてみようかなと思った。

20歳になってすぐの元旦の出来事だった。もうすぐ成人式を迎えるという大晦日の日に親友が事故で亡くなったようだと高校の時の担任から電話があった。大学生だった私は恒例の「紅白歌合戦」からの除夜の鐘を聞くという行事を済ませて寝たのでぐっすり眠っていた。

母が「F先生から電話よ。」と起こしに来て、「はぁ?なんで?今ごろ」と寝ぼけながら電話に出た。

「あー。久しぶりやな。正月早々朝から悪いな。Kのこと、なんか聞いてるか?」

「え?いえ。何も。A子がどうしたんですか?」

「まだはっきりしてないんやけどな。Nから連絡があってな。Nも東京の大学に行ってるやろ。なんか夕刊にKの名前が出てたって。事故で亡くなったみたいやって。それでなんか連絡いってるかと思ってな。確認してみるわ。確認してまた連絡するわ。悪いな。待っといてくれ。」

頭が真っ白になって何もわからなくなった。「はい」と言って電話を切ったような気がするが、何もわからない。A子が。まさか。うそやわ。そんなはずない。A子が。死ぬなんて。ありえない。悪い夢や。

それからどれぐらいぼーっとしていたのかわからない。ただぼーっとベッドの上で座り込んでいた。

「どうしたん?F先生なんやったん?」

母に声をかけられてようやく我に返った。

「・・・なんかわからんねんけど・・・」「うん」

「A子が事故で死んだかもしれんって。」

声に出して担任から聞いたことをそのまま伝えたけど、全然実感なかった。

「まだはっきりわからへんてことなん?」母も中学校の時からよく知っているA子の急な知らせに信じられないという顔で聞いてきた。

「うん。今、東京にいるNさんが夕刊に載ってるのを見てんて。それで私になんか連絡きてへんか?って。A子のお家に確認してみるって。また連絡するって。」

「そうなん。まだはっきりしてへんのやし。まだ早いからもうちょっと横になっときぃ。また電話かかってきたら起こすから。」

結局、それは事実で私は担任から「同窓会の関係は連絡しとくから、悪いけどクラブ関係は電話してくれるか。東京でお葬式されるみたいやけど正月休みの関係でお葬式は少し後になるらしい。」と頼まれた。

電話を切ってもまだ全く実感はわかない。とりあえず他の友達に電話をしなくちゃ。みんなにも知らせなくては。

A子とは中学校からの友達でたまたまだけど中1から高2までずっと同じクラスでいつも一緒にいる親友だった。高校は同じクラブでずっと一緒に過ごしていた。高校生になった時、A子のご両親が東京に転勤になってA子は始め学校の寮に入っていたけど3ヶ月も持たず、寮を出てお兄さんのお家に居候していた。ともかく朝起きるのが苦手、時間を決められて行動するのが苦手、みんなと同じことをしろと言われるのが苦手・・・というとても個性的な娘だった。

今でもA子のことを話す時、過去形で語るのが嫌だなと思う時がある。私たちみんなもうあの頃のようなはしゃぎまくっている女の子ではないのに。A子と一緒にいる私たちはいつまでも些細なことで笑い転げていた女の子で永遠にげらげら笑っているとしか思えない。

中1の頃のA子の印象はいつも寝ている人だった。そして髪型がなぜか狼カット?ウルフカット?でかっこいいのかぼさぼさなのかよくわからない娘だった。高校になってからみんなで中1の時のA子の髪型が話題になった時、「なんで狼カットにしてたん?」と聞くと「それまでの髪型が嫌で自分で切ったらあんな風になってん。」「なにそれー?美容院とか行ったらよかったのに。。。」「だってー。ともかく嫌やってんもん。それでしばらくはどうしようもなくてあのままにしてたんやん。」と言ってた。笑う。

中高一貫の私立の女子高で中1の始めの頃は、まだまだみんな緊張していたと思うのにA子はともかく前から2番目か3番目ぐらいの席で授業中ひたすら寝ている人だった。そのことも後から話題になってみんなで「中1の始めっからひたすら寝てたんってA子ぐらいやったよねぇ。」って笑ってたら「だってひたすら眠かったんやもん~。」と言ってた。

そんなA子はそれからもひたすら授業中寝ていたのに東京の某有名私大にさらっと合格して大学から東京に行ってしまった。他にも東京の大学に行った娘や関西でもみんなばらばらの大学になったので、大学に行ってからはA子が関西に帰ってくる度にみんなで集まったり、私が東京に遊びに行くときにA子のお家に泊めてもらったりしていた。またもうそろそろ「そっちに帰るしみんなで会おう~!」って電話がかかってくる頃だろうと思っていたのに。

友達に知らせると、「やっぱりお葬式行きたいよね。会いに行きたいよね。」という話になった。でもどやどや私たちが押し寄せていいものかどうか・・・どうしよう?と思っていたら、東京の大学に進学した友達がA子のお家に連絡してくれ「よかったらみんなでお別れに来てやってください、ってお母さんが言ってくれてはったよ。みんな泊まってくれたらいいって。その方が私たちも嬉しいし、A子も喜ぶからって。私は行くけど、どうする?」と知らせてくれた。それから他の友達にも連絡して結局、5人ぐらいで行かせてもらうことになった。

今から思うとそんな大変な時にどやどややってきて、大変だっただろうなと思うけれどお母さん、お父さん、お兄さんたちは皆さん快く迎えてくれた。「こんなに大切に思ってくれている友達に恵まれてよかったと思います。」と言ってくれた。A子は年の離れたお兄さんが二人いて、どちらも結婚されていて子どもさんもいた。中学校の頃から「うちの両親は年取ってるから」といつもA子は言ってたけど、孫ぐらいとも言える年の娘が20歳になった途端、亡くなるなんて想像もできないぐらい悲しいことだったと思う。私たちも悲しかった。

ただただひたすら悲しくていつも会うたびげらげら笑ってばかりのメンバーが目を真っ赤に泣き腫らし新幹線に乗って東京へ向かった。A子のご両親はクリスチャンだったので教会でのお別れと葬儀場での告別式とあった。教会でのお別れがお通夜みたいなものだったのかな?何がどういう順序であったのかもうよく覚えていないけど、私たちはまずその教会に向かったんだったと思う。そこでA子の大学の友達や彼氏に出会った。A子は中学の時からいろいろな出来事を引き起こす娘だったので初めて会った大学の友達や彼氏ともA子の巻き起こしたいろんなエピソードを泣きながら笑いながら話していた。大学に入ってからの話もちょくちょく聞いてたので「あー、その話聞いた。その時一緒にいたんだねー。」など中学からの友達も大学からの友達も彼氏もみんなで盛り上がって話していた。それなのに話題の中心のA子はお花がたくさん入れられた棺の中で静かに眠っていた。大学生になってロングヘアで随分女子大生風のA子になっていたけどすやすや眠っているような顔は、中学の時から授業中何度も見てきたぐーぐー眠っている時と同じ顔だった。

高校の時、社会の授業で日本史を選択してひたすら眠たくなる年配の先生の授業が終わってすぐ後ろに座ってたA子に話しかけようと振り向くとまだぐーぐー眠っていて、「終わったよー。お昼休みやよー。」と揺り起こすとノートによだれが広がっていて大笑いしたんだった。普通、授業中寝ててもわからないように寝ようと努力するよねー。A子はともかく気の向くまま。眠い時は寝ていた。「だって眠いし、寝てしまうんやもん。仕方ないやん。」と。それが不思議と許されるようなところがあった。少々わがままで甘えているような発言も「まぁ、A子やから。」と許される。許されると言うか周りにいる私たちとしては、許すという感覚もなかった。A子はそういう娘だから。そんなA子が好きだから。

A子は絶対、約束の時間に遅れてくる。30分、1時間遅れてくる。30分ぐらいは普通に遅れてくる。よく待ち合わせしていた友達の中で約束通りの時間に来るのは1人だけ。私ともう1人ぐらいは大体、電車1本遅れる。その後、他の友達がぽつぽつ集まってきて・・・それでもやって来ないA子に連絡すると、まだ家にいたりすることもあった。「ごめーん、出ようと思ったらコンタクトが落ちちゃってどこいったかわかんなくてずっと探してる~。」という時もあった。遅れてやって来る時になぜかいつも私の家に電話をかけてきて母に「30分ぐらい遅れると伝えてください。」と伝言してきていた。その時もまずうちに電話して「A子から電話なかった?」と聞いたのだけど、「まだかかってきてないよ。」と母が言うのでまさか家にまだいるってことはないよねぇー、でも一応かけてみようかと電話したら「コンタクトが~!」と言ったのだった。

こんな風にA子とのエピソードはありすぎて長くなってしまう。A子は個性的でおしゃれで何となく人目をひきつけるところがあって、めちゃくちゃ小顔なのに目立っていて中高女子高の私たちの学校の中で下級生に人気があった。「ファンなんです。」とか言われていたこともあったような気がする。大学に行ってからは先輩の彼氏ができたと喜んでいた。その後もいろいろあって今は別の彼氏ができて今度みんなに紹介するねと言っていたような気がする。結局、A子が亡くなってからその人に会ったのだけれどとても優しい人だった。めちゃくちゃわがままなA子のことをとても大切に思っていたんだろうなと思った。

教会のお別れの時にスーツ姿の若い男性がやってきて、A子の棺の前で泣き崩れていた。「A子、A子」と何度も名前を呼びながら泣き崩れていてその人の仲間の人たちが両腕を支えながら立ち去っていった。

「あれがKちゃんなんやね。」と友達同士でささやいた。A子の前の彼で大学の先輩。2つぐらい上で就職して仕事が忙しくて会えなくなった、寂しいとA子から聞いていた人だ。彼もやっぱりA子のことを今でも愛していたんだな、私たちと一緒だ。今の彼も前の彼もA子のことを本当に大切に思っていたんだなと思った。A子は愛される娘だった。もちろん、A子も私たちのことも彼のこと、前の彼のことも本当に大切に思ってくれていたのもわかっている。

A子のご家族の言葉に甘えてA子のお家に泊まらせてもらった。A子の姪の子どもたちが何人かいたので大人たちは随分気が紛れたのではないかなと思う。私も子どもたちと遊んでいる時は気が紛れた。A子の部屋を案内されて「全部処分しようと思っているので皆さんが持って帰ってもらえるものがあったらなんでも持って帰ってください。」とお母さんが言ってくれた。

みんなそれぞれ選ばせてもらった。まだ書きかけの年賀状。私宛のものは「いつもニコニコひまわり星人ちゃんへ」とだけ書かれてたっけ。続きを知りたかったなぁと思う。まだ住所しか書かれてない友達もいたから羨ましがられたけれど。A子が高校生の頃に履いていたロングのプリーツスカートをもらった。それとカセットテープを1つ。

「ひこうき雲」荒井由美

A子の字で書かれていた。レンタルしたんだな。ユーミンは知ってるけど荒井由美の頃の歌はあまり知らないし、せっかくだからもらって家で聞いてみよう。

明日はいよいよお葬式で火葬するという前日、A子が高校の時居候していたお兄さんの奥さんが「A子ちゃん、おしゃれ好きやったけど、また足の爪のマニキュアがはげてるからよかったらみんな塗ってあげて。」と声をかけてくれた。A子は寂しがりだったのでお葬式までの間、たぶん2日か3日家にいてみんなが食事をする居間に一緒にいたんだったと思う。A子のところにいって足の指を見るとお義姉さんが言う通りはげはげになっていた。お義姉さんと友達みんなと笑いながら「ほんとですね。またはげはげになってる。いつもいろんな色のマニキュア塗るぐらいおしゃれなのに、はげはげになってからしか塗り直さないんですよね。」と言いながらマニキュアを塗った。

「A子ちゃん、喜ぶわ。」

親指の爪がいつも巻き爪になって痛くて何回か手術してたっけ。
もう痛くなることないんだね、A子。
何回も痛くなっても生きていてほしかったよ。
まさか20歳で亡くなるなんて思ってもいなかったんだろうな。
「信じられない!」って言ってるんだろうな。
20歳まで生きてくれて私たちと一緒にいつもげらげら笑って過ごしてくれてほんとにありがとう。A子、いつまでも大好きだよー。

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