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何回でも「ありがとう」

知人の早すぎる死をSNSで知った。

midori-yaに時々遊びにきてくれていた人でとても素敵な青年だった。まだ私が車を運転していて車も2台あった頃、夫が出張寄せ植え教室に行く日に京都まで私が仕入れに行くことになり、まだ幼かった息子を乗せて滋賀から京都へ向かっていた時に彼に助けてもらったことがあった。

当時、私たちはローバーの114という今では見かけることのなくなったイギリスの車に乗っていた。とても好きな車で普通の乗用車なのだけど、重厚感があって車内のデザインもウッドパネルも外装の赤の色も全部好きな車だった。ただ、やはり外車なので時々故障することがあって、でもなんとか修理しながら乗っていた。

その日、息子と私で京都に仕入れに行ったその日。滋賀から京都へ向かう峠を通りがかった時、突然、本当に突然、車の調子が「なんかおかしい!」と思い咄嗟に左に寄った途端、うんともすんとも動かなくなった。一応、カーブの手前で心持ち左に停車。2車線とはいえ大型トラックも結構行き交う中、携帯電話も持っていず雨も降っていて呆然。近くに民家はなく、電話もない。息子は2歳ぐらいだったか。チャイルドシートに「なに?どっか着いたん?」という感じで座っていた。

なんとか夫に連絡しなければと「公衆電話この辺にあったかな?」と考えながら、とりあえず峠の方に向かって「電話があったらいいな。」「誰か歩いている人がいたら電話のある場所聞いてみよう。」「民家はどこまで行ったらあったかな?」「どこまでもとりあえず行くしかない!」と息子を抱き抱え、傘をさしながらとぼとぼ歩いていた。

その時に通りがかってくれたのが彼だった。「midori-yaさん?どうしたんですか?」と車を止めて声をかけてくれ、事情を説明すると「僕の家がこの近くにあるのでそこまでまず牽引していきましょう。」とかっこいい4WDのランドクルーザーで牽引してくれた。元々外車の修理屋さんを紹介してくれたのも彼だったので、修理屋さんに直接ここまで取りに来てもらえばよいと言ってくれた。そして彼の携帯を借りて夫の出張レッスン先に連絡。夫と手際よく会話をしてくれて、「まだ時間があるので出張レッスンの近くの道の駅まで送っていきますよ。今から送っていったらちょうどレッスンも終わるぐらいのようですし。」「でも京都に行く途中だったんじゃ・・・」という私に「早めに出てきたんで京都の用事には、お二人を送ってからで十分間に合うので大丈夫です。」と。

彼が声を掛けてくれてから後、私と息子は車に乗せてもらっているだけ。何から何までおまかせ。結局、道の駅まで送ってもらって私たちは夫と合流でき、彼は「それじゃあ。」と颯爽と京都に向かっていった。私たちにとっては本当に恩人と言っていいほどのいつまでも忘れられないできごとだった。

その彼が突然、亡くなったと今朝たまたま知った。信じられない。

助けてもらった後も会う度に私たちはその話をして、知り合いを紹介する時にも「昔、助けてもらったことがあるねん。」とその話をしていた。彼は「雨降ってる峠道で小さい子ども抱えた人がとぼとぼ歩いてたら普通助けますよ。誰でも。」といつも言った。あまりにも私たちがその話をするからか、最後には「もうそんな誰でもすることを何回も言ってもらうと僕も恥ずかしいし、これでこの話は終わりにしてくださいね。」と言われた。その時、「そう言えばどうしてあの時は峠の方に向かっていってたんですか?」と聞かれ「どこかに公衆電話があったかなぁと思って。下の方に降りていくと随分、下まで行かないとなかったなと思ってとりあえず、上に向かってたんです。」と言うと、「峠の方にあがってもどこまで行っても電話はないですよ。」と苦笑しながら「でも、まずあの赤いローバーが停まっているのを見てmidori-yaさんの車だ、どうしたんだろうと思っていたから歩いてるのに気づいたんで、結果的にはよかったってことですね。」と微笑んでくれた。

11年前、滋賀から熊野に引っ越す時も手伝いに来てくれて、例のローバー114は熊野では修理してくれる車屋さんがないだろうと手放した時も委託販売してくれるカフェを紹介して連れていってくれた。本当に最後の最後までお世話になりっぱなしだった。

熊野から戻ってきた時、電話では話すことができてお互い忙しくて「そのうち絶対、レストランに食事に行きますね!」というメッセージをもらっていたのに。大きくなった息子に会いたいと言ってくれていたのに。

こんなところにまたこのエピソードを書くと「もう終わりって言いましたよね。恥ずかしいからやめてください。」と言われそうだけど、私だっていつ何があるかわからない、今は生きているから書けるうちに書いておこうと思った。書いたからと言って、私の自己満足でもう彼に届くことはないとわかっているけど。

あの時のヒーローぶりは忘れられません。息子もずっと「助けてくれたお兄ちゃん」って呼んでました。その昔、midori-yaに遊びに来てくれてありがとう。何回でも「ありがとう」と言います。

本当にいろいろとありがとう。

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この思い出はまぎれもなく midori-yaの物語の一部なのでマガジンに入れておきます。


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