何者にもならない。
今朝、NHKニュースで
朝井リョウさんの特集が放送されていた。
朝のあわただしい時間。
パンを頬張りながら、画面に貼り付く。こんなこと言っては失礼なのだが、私は特段朝井さんのファンではない。
だが、朝井さんの言語化する力、登場人物の心理を深く突き詰めたストーリー、人を惹きつける才能にとくべつな存在感を感じずにはいられない。
それに、こんな朝の特集に取り上げられる作家はほんとうにひと握りだ。
特集の内容は、新作『生殖記』について。
書店に行けば、必ずと言っていいほど目に留まる煌びやかな文字のタイトル。作家の名前を見ただけで、有名なあの方の本だ!と手に取る方も多いのではと思う。
そこで、注目すべきなのが、この本。
あらすじがない、のだ。
既に読んでおられる方からしたら、何を今更と思うような話かもしれない。だが、初めてその試みを聞いた者としては驚きを隠しきれない。
時間がない現代人にとって、“タイムパフォーマンス”を意識し、“手っ取り早く”概要を得ることは、何よりも重要なことだからだ。
それをまるっと覆してしまう。
もちろん、朝井さんほど名の知れた方だからこそ、強気にできてしまうことではある。だが、実際に今までと違うこと、前例がないことをやってのける実行力は強気さとはまた別物なのだろう。
その試みをこう説明されていた。
(※一度視聴したインタビューを記憶を辿り文字に起こしております。私の主観が入っている可能性がございます。)
そんな朝井さんは今後、作家の分野だけでなく、違う方面でも挑戦をし続けたいと話す。
ひょうひょうとした表情で、何度も自身の心に刻み込まれたであろう強い執念が漂う。
アイデンティティを模索する『何者』たち。
いくつものそれらを評価する『何様』たち。
そのどちらにもならない、と主張をする。
そして、今作家としてデビューするなら、
どのように自身を出すか。という問いに対して、
と話した。
作家の情報を出すことで親近感や共通点を見い出す読者は多くいるはずだ。そこをあえて、省く。
朝井さんの、より大勢の人に作品を手に取ってもらい、自分ごととして一緒に考えてもらいたい、という純粋な気持ちがそう言葉にさせたのではないだろうか。
作家という地位を築いた朝井さんが、
『何様』と振る舞うこともなければ、
これからの挑戦に向けて
『何者』と名乗ることもしない。
その姿は、プロフェッショナルであり、ビジネスマンであり、紛れもなくアーティストでもある、たち振る舞いだった。
そう感じ取り、
新作を手に取りたいと思ったのなら、
これは朝井さんの思惑通りなのだな、と
ひとり思わずにはいられなかった。