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毎日投稿は、「ビタミン」みたい。


あると嬉しい。
なくても何とでもなるもの。

それが、私にとってのnoteを書くこと。


先日、慌ただしく過ごしていた。

時間ではなく、頭の中の問題。あれもこれもしなきゃな、これは今週中に終えておきたい。プレッシャーをかけて、追い込む。そうでなければ、のちに苦しむのは自分だもの。

少しばかり、noteが気がかりだった。毎日続けていることを、そう簡単に終わらせたくない。けれど、頭のキャパシティが狭くなると、不安になる。やがて、思考が停止する。




ある日のことを、思い出した。
書きたくても踏み切れなかった会社員だった頃。

今書けば、マイナスなことばかり言葉にしてしまいそう。それはそれでいいのだろうが、そんな感情を私は残したいのか、と自問した。

可能であれば、前向きな、ときには過去を振り返って今の視点から意見を述べるような、そういう記事を書きたい。

余裕のない今、書くことになんの意味があるのか、と思っていた。



だが、書いてみたから気づいたことがある。

書き終えた後は、どこか頭の中がスッキリするのだ。行き止まりだった道がひらいて、風が吹き込んで、循環していく。すうっと空気が吸える。

その感覚をどこか、
“ビタミン補充のよう”、と思った。


暑い夏の日に、ビタミンCを求めて、キウイにレモン、ブレープフルーツをどうしようもなく食べたくなるような、そんな感覚に近い。

余裕がないからこそ、
ビタミンを求めているのかも、と。

なくてもいいものだけれど、あると嬉しい。
体が求めるものを補填すれば、力がみなぎる。



ついでに、軽くなった頭と心が、するするっと体を動かす。「おいしくな~れ」と食材に心を込めて、「お日様の香りがするわ」とシャツを畳んでみる。

“清々しい。”

そう思った。



もちろん、物理的に書く時間がない時もある。そんなときは、最近の出来事を記事にしたり、つぶやきにしたり。バランスをとりながら、ひたすら。

頭をぐるぐる回しながら書く日があれば、想いのまま文字を並べる日もある。

それでいい。それがいい。


きっとこれからも、ビタミンを求めて、細々と形にしていくんだろうな。




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