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結局頑張る。

「がんばってね」「がんばろうね」
ってよくいうけど、そんなにみんな頑張ってるのか。そんなに大変な思いをしてるのか。
この世はそんなに大変な思いをする場所なのか。
ずっと頑張ってないといられない場所なのか。
ならなぜいるのか。
頑張ることをやめたらここにはいられないのか。
頑張ることが辛い人はなぜ頑張るのか。
頑張っていいことがあるのか。
頑張らなかったらどうなるのか。
頑張らなかったら楽しくないのか?
頑張らずに、楽しく過ごしたり快適に生き続けることはできないのか?
いや、できるはずだと思うんだけどな。
してる人いると思うんだけどな。
もしかしたらそうして頑張らずに幸せ感じて生きてると、頑張りたくなるのかな。
できないこととか、どうなるかわからないことをやってみたくなるのかな。
この先を見てみたいとか、自分の力を試してみたいとか、思うのかな。
退屈になるのかな。
頑張るってことは刺激もあるか。
ワクワクドキドキするようないい刺激は脳にいいな。
じゃあ、やりたくないけど頑張らなきゃいけないことはなんなんだ。

どうしてそれでもやるのか。
本当にやらなきゃいけないのか。

昼ごはんを片付けながら夕ごはん何にしようかと考えながら、炊飯器に残ったごはんをおやつ用のおにぎりにするかと考えるのと同時に浮かんだのでとりあえず座って一気に書きました。

こぼし散らかして食後即ポケモンカードで盛り上がるわが子たちの和気あいあいとケンカを激しく行き来する声を聞きながら。

子どもたちが健やかに生きられる人間になるように、大人になるまでその環境を保ち必要な準備を手伝ってあげることが私の役目ならば、私はそれをもうちょっとドライにやったら楽になるなと思った。
子どもは私の所有物じゃないから、1人の人間だから、親と子だからといって自分の思った通りにはならない。切り離して、いい意味で諦めることが私には必要だ。

だから、おなかすいたから作って食べるみたいに直接短期で自分のためになることではないから、たとえやりたくないタイミングでもやらなきゃいけなくて、つまり頑張るということからは逃れられないんだけど、その頑張るを辛いものにしてしまわないようには工夫次第でできるのかなと、思った。
その工夫を、たとえば子どもたちのケンカで被害が最小限になるような工夫を考えるのも、また、その考える時間を日々過ぎゆく時間の中から絞り出すこともまた、頑張ることなのだけど。


私の顔を覗き込んですりすりしてきた。
なんだよかわいいなぁ。
子どもたちはかわいい。とってもかわいい。
何にも変えられないものをもらってる。一瞬で吹っ飛ぶんだよなぁ。

ママ頑張るね。
おにぎり作ろっと。

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