家族だからこそ尊重してほしい、それぞれの時間

朝の出来事。
子どもたちと朝ごはんが終わり、食卓で一息。
さて、食器洗い、洗濯干し、掃除をするかと流し台に立ったちょうどそのとき、
自分の部屋を片付けていた夫がなにやら持ってきた。

「これいる?」

差し出されたのは包装紙。
知り合いのイラストレーターさんが作った、かわいい包装紙。
私も夫も大好き。

「あ、いる」
と手を伸ばしたけど、「いや今渡されても困る」と離れた。

今受け取ったらそれをどこにしまおうとか考えなきゃいけないし、丁寧にそれをしまわないといけなくなる。

「喜んでくれると思って」と夫は言って背中を向けた。

「そういうことじゃないんだよ」と出かかったけど飲み込んだ。

それから夫は私の棚がある部屋に入っていったので、その包装紙をどこかに置くんだろうと思ったけど、変なところに置いていないことを祈った。

その瞬間、今日の私のタスクに、『あの包装紙をクリアファイルに入れて、しまう』が足された。
今頭の中では、クリアファイルはあそこにあるはず。便箋ゾーンか大切なものゾーンのどちらにしまおうか…となっている。

夫に悪気は全くない。きっと片付け中に見つけたんだろうけど、私がそのときちょうど動き出そうとしたこととか、これからあーしてこーしてなどと考えていた頭の中などは全く無視して踏み込んできたと感じてイラッとしてしまった。

以前のnoteにも書いたけど、私は私の想定していないことで自分が動かなきゃいけなくなることが本当に嫌なのです。

ちなみに私が居間の掃除をして見つけた子どもや夫のものは、4人それぞれに分けて、ひとまとめにして居間の邪魔にならない場所に置きます。
そして、ここに置いたからねと声をかけます。大切そうなものなら、相手のタイミングを見て手渡しします。
置いたものがあまりにも放置されていると、夫のものは夫の部屋の、誰がどう見てもわかる場所にどーん!と置きます。

子どももそうだけど、それ今じゃなきゃいけないっけ?とか、手渡しじゃなきゃいけないっけ?
と思うことは結構ある。

アパレルの仕事をしている私の母は、私が10代の頃から、「これ着る?これ使う?」と服やバッグなどを見せてきた。
「着てみて」「買ったんだけどあなたの方が似合うと思って」などと。
それでありがたい思いもしてきたんだけど、私のタイミングを全く無視でされていることが、大人になってから嫌だと思うようになった。
ただでさえ自分でコントロールできる時間が減る、子どもが産まれてからの同居が全くうまくいかなかったのは、こういうところにも原因があるんだと思う。

親しき中にも礼儀ありで、共有する時間が多いからこそ、相手の時間を尊重することがとても大切だと思う。

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