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自己肯定感を上げた方がいいと思う理由〈ある朝の出来事より〉

やっちまった。そんなに怒鳴らんでも良かったんやろうなぁ。でもそうせずにはおられんかった。

 今朝、息子が小学校へ行く直前のことだった。連絡帳を2人でのぞき込むと、「持ってくるもの:体操服」とあった。ただ、今日は体育はなくて明日のためのものだった。
でも待てよ、金曜日に体操服を学校から持って帰ってないぞ、と思い、体操服学校に置いてきたんか?と息子に問うと、「持って帰ってきた記憶がある」と言う。
「でも家にないんやから、忘れてきたんやろ?」と聞くと認めない。

新学期が始まって息子の学校関係のものが無いと言うことが立て続けに発覚していたため、「そんなんばっかりやな。」と私は口走ってしまう。
息子、「はぁ?」と切れる。

そのあと、息子はもうすでに着替えていたズボンを脱ぎ始める。
「なんで脱ぐん?」と私が聞くと、
すごい勢いで切れ出す。
「なんでいちいちそんなん聞くん?こっちかって考えてやってんねん。」等々。

息子は体育がある時は着替えやすいズボンにしていて、今日は体育がないと気づいたため、違うズボンに着替えようとしていたのだった。

それで収集がつかないほど叫び出した。
「謝れ!!」とさけぶ。
私も「聞いただけやろ!私は悪くないから謝らん。早よ学校行け!」
という応酬になってしまった。

あとあと考えてみると、あぁ今思春期の入り口でイライラしてるし、月曜日やし、私が「はいはい、私が悪かったね。そりゃやることをいちいち聞かれたらうっとおしいよねぇ」と、サッと謝ってしまえば済む話だった。ただ、そうできないのは私の自己肯定感の低さ、自分を肯定し切れてないということだろう。

息子に、「謝れ!」と命令口調で言われ、それで素直に謝ったら自分のプライドが崩れると思っているんだろうね。プライドうんぬん思うってことは、まだ自分のことを認め切れてないんだろう。まだ余裕がないんだろうね。

息子はしらばくずっとべそをかいて、怒りと悲しみの感情が収まらないようだった。玄関口でむっつり不機嫌な表情をしている私に、「(ぼくのこと)嫌いなん?」と聞いてきた。「そんなことないで、大好きやって言うてるやろ」という私の言葉も今は虚しい響きだ。

なんとか学校へは出掛けて行ったが、また私もすぐ怒りが込み上げてきた。ああ、貴重な週明けのエネルギーをほぼ使い尽くしてしまった。

いかんね、月曜の朝は。

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