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現在地 ー 2024.09.22(日)

福岡から東京に帰る機内。
ある意味、これも一駅日記のようなもので。
コンソメスープを飲みながら、一息ついている。

仕事で福岡に来ていた。
3泊4日の福岡出張。
往復JALで、博多駅前のビジネスホテルを予約。

合計14万。

三連休だから仕方ないのか……。
もう少し、国内での移動を安く済ませることができるなら、もっと気軽に地方にも足を運べるのだけれど。



あと4ヶ月で29歳になる私。
まだまだ分からないことが多すぎる。

自分を保つことが難しい。
仕事に忙殺されて、身体を動かせずにどんどん怠けていく。
股関節も硬くなるし、疲労も取れない。
身体を動かしていないから体力がなくなっていくのに、
身体を動かす体力がないという連鎖。

どこかで、何かを変えないといけない。
その変化は自分で選び自分で起こすものなのか、
それとも、生きていることで何かが起きて、そのリアクションを選びとることなのか。

どこかで何かを変えないといけない。


そんな悠長なことを言っていたら、大切なものが溢れていく。
いま思えば、ここまでの私は、かっこよくなかった。
そりゃ溢れていくし、離れていくし、ゆっくり消えていく。

興味がないという観点と
執着がないという観点は、大きく意味が異なるのだろう。

それはやってみた上での判断か、やらないで下す判断か。
その違いにも関わってくるはずだ。

学生時代から、あんなにも、まずは行動を起こして考えようなんて、声高に叫んでいた私のくせに、
やってもいないことが多すぎる。

20代というのは、産まれてから20年かかって自分に取り憑いてきた様々な呪いを解くための10年なんだなと感じているが、
その呪いの種類を認識するためにも時間がかかる。

20代が終わるまであと、1年4ヶ月。

せっかく、せっかく、私の大切なものがなくなった今だから。
自分のことを考えてみてもいいんじゃないか。

私はいつも、失ってから気がつく。
その人の温もりや、その人の優しさだけじゃなく。
自分の無頓着さと、自分のかっこよくなさ。



それでも、どこか「大丈夫だろう」という大前提がある。

分からなくて苦しくて、
見えなくてもがいていて、
聞こえなくて歩いていて、
においがしなくて手を伸ばして、
少しずつ心が溶けていって。

変わらなきゃという焦燥感と
大丈夫だよ、という安心感。

今の私に大切な宝物はなにもないけれど、
それでも、私は大丈夫。

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