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【一駅日記】今日の空気と、私の心と、温度感 - 2023.02.24

noteの連続投稿バッジって本当やめた方がいいと思う。
いらない。書きたい時に書かせてくれ。
そんなことを思っていたら2月ももう終わりに近づいていて。

いまの仕事に転職をして1年が経過。
こんなに働いてばかりで、こんなに眠い生活になるとは思わなかったけど、
こんなに早く仕事を任せてもらえて、ちょびっとだけ夢が叶うことになるなんてもっともっと思ってなかった。

一年を振り返ってみると、
自分に自信がないことが、自分の何よりの武器だったなと思い返すことができる。
自信がないから誰よりも広く物事を見ながら進めていける。
自信がないことが、何よりも自信につながる。




私が今の仕事に就こうと思ったのは
2020年の10月に津野米咲さんが亡くなったことがきっかけで。
それから、なんとなく自分の中で価値観が変わったような気がする。
2020年の空気は、きっと死ぬまで忘れない。


せっかく仕事を変えて一年が経ったのだから、
ちょっと自分のことを振り返ってみよう。
そんなnoteを今日の帰り道に書こう。
そう思っていた矢先に、またロックスターが旅立った。



少し前まで、「死にたい」という感情の意味が分からなかった。
よく友人や知人や大好きだった人が口にしていた。
その言葉に私は翻弄された。

翻弄された結果、私は「死にたい」という言葉の意味を理解した。
自分の体感として、自分の身体から出てくる言葉として「死にたい」という文字列を口にする日が増えた。

しかし、次第に「死にたい」という言葉に疑問符が付くようになった。
それは、二つの意味があって。
私のそばにいてくれている大切なひとの優しさや温もりのおかげで、私は本当に「死にたいのか?」と自問をし始めたという意味での疑問符と、
もう一つは、なぜそんなに軽い気持ちで「死にたい」という言葉を口にできるのか?という意味での疑問符だ。


死にたい、死にたいと息を吐くように言葉にする人に寄り添いすぎて、
自分を見失ってしまった今の私は、死にたいと口にする人間のことを心の底から軽蔑してしまうようになった。

本当に死にたいのか、それともただ、ただ、ただ、ただ、死にたいと口にしているだけなのか。

軽々しく、死にたいと発することができるその感情が私には理解できない。

人に寄り添いたい。
そんなことを思っていたが、それはちょっと違ったらしい。
軽々しく死にたい、なんて言えてしまう人生に私が寄り添う時間はない。
温度のある、あなたに、私の少ない人生を捧げたい。


ありがとう。ありがとう。

今夜はbanbi「 - ことばとこころ - 」

ことばはこころになりきれない
だからまた探すのだろう
届くことなくても
なるべく君の近くで
光り暖めるようにと

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