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実家で感じた昔の匂いと眠気

休日も働いておりました、こんばんは。
仕事帰りに実家に寄ってきた。

実家に寄ってから、とてもいい関係性になれている気がしていて
両親のことは大好きだし別に確執がある訳でも複雑な関係な訳でもないのだけど、たまに会うくらいの距離感がとても精神的に楽なのです。
と思いながら実家に寄ってみた。

ご飯を食べて、あまりにも眠くて眠くて、いつのまにか夢の中へ行っていた私。

母「あ、寝ちゃったかな」
父「いいよ寝かしとけ」

母「そろそろ起こしたほうがいいかな、明日仕事だもんね」
父「いいよまだ寝かしといて、遅くなったら車で送ってくから寝かしとけ」


こんな会話がぼんやりと私の耳に入り込んでくる。
うつらうつらとしながら、人の会話がまるでBGMのように自然と流れて生活空間を成り立たせているこの状況に、私が存在していることがあまりにも久しぶりすぎて、なんだかすごく泣きたくなってしまったのだ。

そういえばこういう、私がいない時に、もしくは私が寝ている時に私の話をされていることがとても嫌いでとても好きだったなぁと思い出した。
「おい、あいつ勉強してんのか」
「またここで寝てんのかよ、起こせよ」
「寝てばっかじゃん」
みたいな言葉がなんとなくなんとなく少しずつ蓄積されていって少年の頃の私は、人の目を気にしたり、人が自分の話をすることに少しずつ恐怖感みたいなものを抱いたりしたのですが
一方で、きっと私が自覚していないだけで今日みたいな会話はたくさん部屋の中で飛び交っていて、私のことを思ってくれた日々がたくさんあったのだろうとも。
親の心、子知らずとはよくいったものだ。
全く自覚していなかった。

眠気でぼんやりしているのに、周りの声が気になってしまう私は、私に向けられる可能性のある、"私が傷つく言葉"を避けるためのネタ集めでもあったと同時に
よく言われていたい、褒められていたいという願望でもあったんだなということを知った。

26年間、私の根本にあったものって
頑張ってるね、って褒めてもらいたかっただけなんだな。

友だちから、先生から、周りから、
大人っぽいねなんて言われながら育ってきたけれど
本当は私の心の底にあるものは、褒めてほしい
っていう子どものような気持ちがいつまでも強く深く根っこを張っていたんだなと。
なんだか少し歯痒いけれど、自分のことが少し分かった一日でした。

フロントメモリーがちょうど流れてきた。
猛暑日の、熱帯夜の、ちょっと感傷的な夜に私を泣かせるにはもってこいの音楽さ。


#実家との距離感  #一駅日記 #フロントメモリー #猛暑日 #両親

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