年齢の話

 この間、今度転勤してこられ来期から私の先輩ポジになられる方が挨拶にいらしてた、その時の話。

 先輩と私は同年代だったので、話の流れで年齢を聞かれたわけなのだけれど、私が「p歳です」と答えると、先輩は「私はもうすぐs歳になります」と仰る。そこで私は何を血迷ったか「私ももうしばらくしたらq歳になります」と返してしまって、そのあたりで話が流れたから、なんだか齟齬を残したようになった。

 私の誕生日は5月前半で、そのときもう2月半ばだったから、あと3ヶ月もない。誕生日をジャスト〇〇歳だと考えると、今の歳より次の歳のほうが近いことになる。背景にそういう思考もあり、先輩が「s歳になります」と仰る形式に乗っかる形で返してしまった。

 後から考えれば、「今年〇〇歳になります」という言い方は、その年の誕生日を迎えていない場合の常套文句だ。
 ちゃんと冷静でいられたなら、先輩が早生まれで、単に今年度の誕生日が来ていなかったから、正確な学年差がわかるように「なります」と仰ったと推測できたはず。

 結局、後から全体紹介みたいな場で、先輩は2月生まれだったことが判明したのだけれど、それを受けて私は「なるほど、人間は実年齢ではなくて、学年差を重視するのか」と今更な驚きを得ていた。
 分析するに、平均的な人たちと比べると、どうやら私は年齢を言うときに学年や級をあまり意識していなかったのだろう。むしろ、月を加味した実年齢での歳の差を重視していたらしい。
 そういう考え方が自分の中では当たり前だったから、咄嗟の時に相手の価値観とのズレに気づいたり、合わせた返しをしたりできなかったんだと思う。

 自分のことを変人だの狂ってるだのと言う割に、一方では自分の思考を正しいものだと思っていて、周りとの間でズレがあるのに気づけていない部分がある。今回、灯台もと暗しな所で痛感して、改めて気をつけなきゃなと反省した。

 でもそうは言いつつ、実は心から懺悔しているわけじゃなかったりする。一々心の底から悔いて傷ついていたら、すぐ精神的に潰れてしまうだろうし。ある種のバランス機能なのかな。
 本当はもっと早くに察知できていれば良いんだろうけれど、永久に気づかないよりは、今気づけて良かったということにしてる。

 ひとまず、先輩にはそのうち機を見て齟齬を解消しようと思っている。

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