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インターネットという泥船

 何度も何度も書いてきたが、ネットは攻撃性が高い人たちの溜まり場である。
 そんなことは言うまでもなく重々承知だし、それでも私はインターネットで人に頼ったり何か吐き出したり気を紛らわしたりしないと生きていけないのでネットを続けているわけだ。だから基本的にそういうネガティブな感情を言い合っている人たちはスルーするようにしていた。あんなの気にしてても何の得にもならないからね。
 でも、最近本当にスルーできない…。あの底が見えないどこまでも黒い沼のような言い争いを見るとあてられてしまう。単純に怒りを感じるとかそういう話ではなく、「でも、これは〇〇だよな…」と思ってしまうのだ。そして議論に熱中している誰もそれを分かっていないのだな、と静かにタブを閉じる。そんな感じ。
 多分昨今のTwitterは本当に私に向いていない。長い文章の攻撃的なツイートにばかりインプレッションがついて、私のアカウントに流れてくる。前まではここまでバズるツイートが攻撃的でなかった気がする。
 好きにすればいいのにな。自分がそう思うからって他人に押し付ける必要ないし。なんで赤の他人が自分と同じ価値観を持っていないことを非難するんだろう。わからない。本当に理解できない。キショい人はどうせ絡んでもキショいんだから無視すればいいだろ。そんな感じ。
 インターネットに❝普通❞の人などいない。私と同じ価値観の人もいない。インターネットって自分のすべてをさらけ出せる場だと思うし、それに何度も救われたけど、そのことによって孤独さをより実感させられる。私と同じ思考回路の人間はいない。共感してくれる人はいるかもしれないけれど、インターネットには少ない。悲しい。
 当たり前なのかも。現実であったら、自分のすべてをさらけだせるような人に出会ったとき、もちろんその人も自分と違う価値観を持っているだろう。それでもそのような何でも言える関係性を築いてきたのだから真摯に自分の考えと向き合ってくれるはずだ。インターネットではその関係性構築の過程がないまま自分の感情だけを言いたいように言っているからだめなのだ。それでお互いのことを考えず好き放題言っているだけになってしまって、泥船論争になってしまうのだ。
 インターネットが泥船であるのならば、すでに乗ってしまった私はもうあとは沈んでいくしかないのだろう。絶えない口喧嘩を横目に膝を抱えながら、彼らと一緒に沈んでいくのだ。


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