見出し画像

春の夜の夢

 夜。暗闇。ひとりきり。
 私は夜が好き。すべてが暗い。太陽も沈み、明かりは消え、なにもなくなる。この世の中にはものが溢れすぎているので、情報量がない夜はちょうどいい。心地いい。
 夜はひとりなので、睡眠をとるか夜更かしをするかの二択になる。いまは後者だ。午前0時半。夜と深夜の中間くらい。
 ひとりだと寂しいこともある。だから泣くのもだいたい夜。孤独が好きじゃない。ずっとひとりだと死んでしまいそうになる。でもずっと誰かといても生きていけないのだ。面倒ないきものだと思う。
 夜は、祈りたくなる。ひとりきりだから、嘘を取り繕う相手もいないから、そのままであれる。世間の雑音はすべて忘れて、自分と対話をする。神を信じてみたくなったりする。
 夜はなにかが欠けている、と思う。どこか空っぽで、やっぱり孤独だ。なにが欠けているのかはよく分からないのだけれど、いつもあるなにかがないのだ。
 私は春が嫌い。冬を奪って、夏を連れてきてしまう。虫が増えて、うるさいノイズも増える。そう思っていたけれど、春の夜は好きかもしれない。

 驕れる人も久しからず ただ春の夜の夢の如し
 猛き者もつひには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ

 平家物語の冒頭、小学生の時に暗唱して、なぜかいまのいままでずっと覚えている。当時の私も、春の夜の夢に惹かれるものがあったのだろうか。儚くて、美しくて、清らかさも穢れも内包していて、すべてを覆うように大きいのにちっぽけで寂しい。
 春は不安定な季節だ。春の象徴であるはずの桜はすぐ散って気づけば青々とした葉になっている。私は冬の割り切ったつめたさが好きだから、春の良さはよくわからない。
 ぜんぶ忘れたい。ぜんぶ春の夜の夢であってくれないか。私の人生、考えねばならぬこと、やらねばならぬこと、ままならない悩み、ぜんぶ。生温かい夜風と一緒に溶けてくれ。
 ひとりだ。どうしようもなく。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?