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不条理な現実 文化祭が来てほしくない

 わりと死にかけている。
 でも誰かに聞いてほしいとかじゃないからインターネットに静かにこの文章を流します。
 部活。合唱部。今の指揮者が話を聞かず突っ走るタイプの人間で、心労は尽きない。この前は指揮が下手すぎて苦言を呈した子に対して練習中なのにキレていた。最悪。指揮も指導も下手なのに自分がすべて正しいと本気で思っていて、他人の話をまったく聞かないのでどうにもならない。プロの指揮者を目指している友達に相談したら、「指揮者向いてなさすぎる」「ダメな要素コンプリートしてるね」と言われた。客観的に見てもそうなんだと思った。でも私は歌いたいし、この部で良いものを作りたいし、文化祭はベストを尽くしたいと思っている。だから当たり前だけど対立する。私以外にも同じように思っている子がいて、その子となんとかしようと頑張っているところ。しんどくて泣いたり吐いたり病んだりするけど向こうは何も分かっていないのが本当にムカつく。文化祭終わったら金輪際話したくない。顔を見たくもない。本当に気持ち悪い顔をしている。ブスとかそういうことじゃなくて、生理的に無理になってしまった。
 なんで自分が指揮者にならなかったのか、ずっと自問している。中三の一学期、役職を決めるあの時に「私がやる」とただひとこと言えばよかっただけなのだ。ずっと後悔している。なぜ私ではなくあの人が指揮者になってしまったのか。絶対に私がやるべきだった。私がやりたかった。あの人のする曲への解釈のない薄っぺらい指導と見づらい指揮を見るたびに思う。私ならこうした。もっと上手くできた。もっと、もっと、もっと……。
 本当にしんどい。だって彼女は「指揮者」なのだ。指揮者というのは絶対だ。指揮者の指示によって曲ができる。それに背くわけにはいかない。納得できなくて提案したりしても、指揮者は自分絶対主義なので意見を変えない。私は納得のいかない歌い方で歌うことになる。練習が全く楽しくない。他の部員もまとまりを感じない。でもどうしようもないのだ。指揮者がそれで満足しているのだから。その先に進みようがない。
 指揮者は多分、合唱に本気じゃないのだろうな。私たちと違って。それに合唱の楽しみ方を知らないような気がする。彼女は歌が下手なのだ。
 だから良い指導なんてできるはずがないのだろう。それならなぜ彼女は自ら指揮者に立候補したのか。答えは簡単。彼女には客観視する能力が根本的に欠けているから。指揮者にはリズム感と音感と歌のうまさと人望が必要である…とかそういうことは彼女にとって関係ないのだ。だからそれら全部がなくても、伴奏や歌う部員が指揮を全く見ていなくとも堂々と舞台に立てるのだ。まるで、自分はそれ相応の練習を、努力を重ねてきましたよと言うかのように。
 ああ、嫌だな。文化祭まであと2か月を切った。これが私たちの最後の文化祭なのだ。正真正銘。こんな気持ちで、こんな状態で終えたくなかった。私はもっといい合唱をしたかった。先輩たちも見に来るし、胸張ってうまいって言えるような歌声を届けたかった。もちろんこの二か月でできる限りのレベルまでは絶対持っていくよ。それは全力を尽くすつもりだ。でも指揮者が、指導者がこうではどうにもならない。
 もう本当に嫌だ。私は合唱をずっとずっと本気で、やってきて、その最後がこのザマなのか。絶対に嫌だ。でもどうやって変えられる?どうにもできない。そんなこと何度も何度も何度も考えただろ!

 現実ってどうしてこうも上手くいかない。なんでこんなにもやるせないのだ。もう指揮者に泣かされるのは勘弁だ。

笑いたい 泣きたい 怒りたい 叫びたい
行き場のない 青の掛橋

 今回の文化祭で歌う「Replay」の歌詞。
 指揮者がガチでひどい解釈しか書かないから代わりにやった私の歌詞解釈、読んで。

いろいろ葛藤を抱えることもある。笑いたい!でもうまく笑えない。泣きたい!でも感情の出しかたが分からない。怒ったり叫んだりなんてなかなかできない。そんなの変だ。ダサい。バカだ。でもこの激情が抑えきれない!最高にティーンな歌詞。痺れる。

 ちなみに指揮者にここはReplayの中ですごく大切な部分だと思うよという話をしたけど、理解していなさそうだった。


 あーあ。もう嫌だね。


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