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「死にたい」という友だち

 私はメンヘラだ。あんまり自分で考えたくないけれど、世間一般的に見たら絶対そう。だから同じメンヘラに同調できてしまう。心を病んでいる友だちの話を表面上平気な顔で相槌を打ててしまう。それでどんどん心の深部まで聞いてしまう。
 で、私や彼女たちがよく言うのが「死にたい」だ。本気だけれど、本気で死ぬ気ではない。死にたいけど、心の別の部分ではまだ死ねないと思っているのだ。わかるよ。本当にわかる。
 一度、友達の相談にずっと乗っていたら病んでしまったことがある。おそらく相性が良くなかったのでしょう。彼女は私のような精神不安定な人間ではなくもっと心の健康な人に相談すべきだったのだ。彼女は人間関係がうまくいっておらず、クラスのカーストトップの子と絶交し、一見友達に見えるグループの中で「お前マジで死ねよ(笑)」というような冗談のふりをしてとても冗談では済ませられないような人格否定を受けていた。
 「またあいつらに死ねよって言われたけどマジで自分でもそう思うよ」「生きる気力がないから最近は好きな美少女アニメすら見れない」と言っていた。あんな状態でよく毎日学校に来れていたものだと思う。彼女は自虐をしたあと引き笑いをする癖があった。悲しそうに言うのではなく、無理をして口調を明るくしていた。それを聞くのがなにより辛かった覚えがある。
 結局彼女は病院で薬を貰ったと言っていた。眠れないから軽い睡眠薬。私はそれ以降彼女とほとんど話していないから、それで少しは楽になれたのかそれとも今もつらいのかは全く知らない。前者であることを願っているけれど。でも最近はすれ違うたび今までいじめていたグループの子ではない子と談笑しているので、きっともう大丈夫でしょう。
 この前の日曜に、友達と遊びに行った。映画カラオケアニメイト本屋サイゼ……思いつく限りすべての学生の遊び場所に行った。その子は私と感性がとても合う子で、カラオケで向こうが知ってるかわからないような曲を歌ってもだいたいなんとなく知っていて驚いた。逆もしかりだった。運命かもしれない。
 それで、私と感性が合うということはつまり病むこともまあまああるということだ。最低な断定で申し訳ないけれど。彼女がサイゼリヤで話したことには、11階の自分の部屋の窓から飛び降りようとしたらしい。いや、怖い……。彼女は切り捨て思考なところがあって、ぐちぐち悩む私とは違ってバッと一気に決めてしまえるタイプだ。だから怖い。腹の底がつめたくなる怖さがある。しかもそのあと何回か帰るのを引き止められて、本当に大丈夫かとても心配になってしまった。でもどきどきしながら翌日登校したら普通にいたのでとても安心した。友達が生きていることがこんなにも嬉しい。
 「死にたい」に対してどのような言葉をかけるのが正解なのか、難しいなと思う。正解なんてないけれど。私がちょっとでも生きていてほしいと思っていることを伝えればいいのかな。わからない。
 「黄色い目の魚」という本のワンシーンに、40代バツイチ子持ちのおっさんと駆け落ちまがいなことをしたあと魂が抜けたような状態で帰ってきた妹に対して、主人公が「まだきっと僕らの人生、嫌になっちゃうほど長いよ」と呟くところがある。その通りだ。どれだけ死にたくても本当に死なない限り人生はずっとずっと、嫌になるほど続いていく。これからも。


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