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車の後部座席からの卒業

 文章が書けない。
 私には文章の才能なんてないのだろう。私には何の才能もないのだ。顔ダメ性格ダメ人望もダメ。ダメダメずくし。ずっと頑張ってきた絵だってうまくいかなくてやめてしまった。私には勉強しかない。どれだけ否定しようとして突っぱねていても、結局勉強しかできないし勉強をすることでしか社会に馴染めない。そういう人生だ。
 「勉強」ってきもちわるい字だよね。勉強するという行為の話ではなくて、字を見ているとだんだん崩壊してくる。「勉」ってそもそも、勉強関連でしか使わない。勤勉、勉学、ガリ勉…それくらいだ。そういえば、日本人って自分たちのこと「勤勉」だと評価しているらしいよ。そういうアンケートがあるらしい。それを聞いた時、気持ち悪いなと思った。勤勉という性格、自虐にすることもできるし誇ることもできるというか、控えめですがやればできるんですと言いたい感じがする。いや、日本人の気持ち悪さはどうでもよくて、私なんだ。結局一番気持ち悪い生物は。私は日本人だけど、日本人全体ではないし、イコールじゃない。集合の中に属する要素A。だけど別の要素にも跨っている。たとえば「女」「未成年」「21世紀を生きている」「高等教育を受けている」とか、表面的なのだとそういうの。もっと内面的なのだと、「学校が嫌い」「毎日チョコ食ってる」「noteで文章を書いている」とか。でもそれは不確定で、例えば一年後には学校が好きになっているかもしれないし、明日からダイエットのためチョコを食べなくなるかもしれないから評価がしにくいらしい。だから社会では経歴、キャリアが大事。私の場合は学歴だね。学歴がないと私がいくらその会社に入りたくても評価が下がる。らしい。それしか通う理由がなくて、私はそれのために通っている。別に誰に言われたわけでもないけれど。学校嫌だけど。私は多分変でバカで思想がダメだけど、社会に懸命に適合しようとしているから。それが自分にとって良いことなのか悪いことなのかなんて知らない。結局育ててもらっている親のためかもね。いや、それもウソだね。ただ自分が考えたくない、決断したくないから楽な道を選んでいるだけだ。みんなが選ぶ、正解っぽい道を。私は選べないんだ。わからないんだ。みんなと同じでないと不安で、なのにみんなと同じになれないんだ。バカだから。適合できてないから。それでさらに同じになろうとして、こんなに頑張ってマジョリティを探して自分に一番近そうな「正解」を選ぼうとしているのに、それが本当に「正解」であっているのか不安になっちまうんだ。他人の正解が自分の正解じゃないなんてそんなこと分かっているつもりなのに、結局自分の正解なんて分からないし。確かに16年生きてきたけど、そのうち5年くらいはバブバブやってただけだし。正解なんてないだろうね。間違いが正解になるかもしれないし、正解だったはずなのに間違えてしまうかもしれない。
 私は、結局両親と同じ大学に行くことにした。流されたんだ。学校でもおそらく半分くらいがその大学を志望していて、そのさらに半分くらいが実際に進学する。それが正解か不正解かなんて全くわからない。母が親切心でいろいろ教えてくれるのは、うざったくもありありがたくもある。
 自分で決めたかったなと思う。でも、自分じゃ決められなかった。だから流されることにした。それがどうしようもないから選んだ選択だったことは分かっているけど、悔しいんだ。自分で選べなかったことが。
 絵が好きだったから、本当は美大も考えたんだ。デザインを学ぶのも好きだった。でも私には才能がなかった。私には勉強の才能しかなかったんだ。親にちらっと言ったら、本当に少し言及しただけなのにすごく真面目な顔で諦めろと返された。ショックだった。もし私が絵の才能があったら、勉強の才能がなかったら、そんなたらればを考えてしまう。
 親の立場というのも、きっとあるのだろうな。親はことあるごとに自分の友達の子供の話をしてくる。○○さんのところの子、有名大に行ったんだって。有名塾の教師やってるんだって。○○オリンピックで賞取ったって。そんなこと、絶対気にすべきではないけれど。
 私は、いつ最後に親に褒めてもらったかな。そもそも褒めてもらうなんて、そんなことあったかな。あ、弟の面倒を見た時だけは褒めてもらえるな。それだけかな。
 別に親の賞賛が欲しいわけじゃない。私はそんなことのためだけに勉強することはできないし、学校も通えないし、人生捧げられない。
 私は、多分そろそろ私の人生を生きなければならなくなるのだろう。「ピーナッツ」の話のひとつに、車の後部座席の話がある。子供のころはずっと車の後部座席に座って、大人が運転してくれる。安心して話したり眠ったりできる。だけどいつか運転席に座らなきゃいけなくなる時がくる、という話。私もあと二年で成人して、もう二年で酒が飲めるようになる。その時にはもう完全に大人だ。社会人だ。車の後部座席でずっと親に身を任せっきりではいられないのだ。そのときは、どうか、自分の人生を自分の足で歩めていますように。他人なんて気にしないで、つまらない大人の言うことなんて聞かないで。それが私の夢、だよ。


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