姑・サーちゃんのいいところ

姑・サーちゃん(以下、サーちゃん)がまだ元気いっぱいだったころ。

サーちゃんは快活で、明るい人だった。とにかくよくしゃべる。

いいことも悪いこともあけすけに、ときに尾ひれをつけて(これが困りものではあるのだが)、あっちやこっちでしゃべりまくる。

いつしか私はサーちゃんの話を話半分で聞くことも多くなっていた。

それでも、サーちゃんの口癖のなかで一つだけ「お!いいな!」と思うものがあった。

それは「…で/…してよかった~(ラッキー、ツイてる)」という言葉だ。

例を挙げる。
・雨が降ってよかった~
・晴れてよかった~
・(午後に来客があり)午前中に家事を終わらせててよかった~
・(午後に来客がこず)ゆっくり昼寝できてよかった~

何に対しても「よかった~」と思えるなんて幸せな人だなぁ、いいなぁ! 私はこれは見習おうと、サーちゃんが「よかった~」と言うときは耳を澄ましてその内容を聞いていた。

ところが、最近「よかった~」と言っているのを耳にしなくなった。

あんなになんでも「よかった~」と言っていたのに、近頃は心配事ばかりだ。去年の4月に体調を崩して突然倒れたことと、その4ヶ月後に地震があったことが大きく影響しているように思う。

サーちゃんの「よかった~」はすっかり鳴りを潜め、「はぁ~」と5メートル離れていても聞こえる大きなため息をつくことが多くなった。

ため息をきいてるとこちらまでため息をつきたくなる。

けれども、私が強制的にサーちゃんに「ため息つくの禁止!ついたら罰金!」というわけにもいかない。

「ため息は心身によくないんだよ」なんて諭すのも違う気がする。

だって。サーちゃんは心の中に不安や悲しみがあるんだもの。
ため息という形で体の外へ出したほうがいい。

…とわかったふりをしていたけど、やっぱりため息を聞いている自分がどんどんしぼんでいくのも感じる。

この矛盾!どうにかしたい!

あんなに「よかった~! ラッキー ツイてる!」と言っていたサーちゃんはどこへいってしまったんだろう。

そんなことを考えていたら、一つ、そうだ!と思い当たることがあった。

そういえば私、サーちゃんに「よかった~!」という口ぐせいいね!と言ったことがないなぁ!

私は娘や夫のいいところを見つけたらすかさず伝えるようにしているのだが、それをサーちゃんにはしていなかった。

昨日、私がテラスで料理の下ごしらえをしていたらサーちゃんがやってきて、はぁ~とため息をつきはじめた。

あ~、この先、不安なことや心配なことの話のオンパレードだぞ~。

「(うわぁ、やめてくれ~)」

そんな私の心の叫びが通じるはずもなく、サーちゃんは心配事をあれこれ話しはじめた。次男が忙しくて帰ってこないという。

またこの話かぁと悶々としながら聞く私。

でも途中でハッとした。

今や。こうやって私が「はよ終わって~」と思いながら聞いてるから、いつまでたってもサーちゃんの心配事はとまらないんや。

「お母さん、こういうときは『よかった~』って言うといいよ。」

「…?」

「お母さん、よくそう言ってましたよね。私は、あれはすごくいい言葉だと思うの」

「ああ、そうね。夫がそう言うといいって教えてくれたのよ」
「そうなの?」
「そう。それとお祈り、コーランの暗唱」
「お父さんが教えてくれたのね」

すでに亡くなった舅の話がでてきて、なんだかしんみりした。

「それじゃあ、兄さん(サーちゃんの次男)が帰ってこなくて何がよかったかなぁ?」
「ええ? よかったこと…よかったこと…わからない」
「そっか」
「でも、そうね、コーランを読むことにするわ」

思いのほかサーちゃんが前向きで、「サーちゃんのもう一つのいいところは素直なところだよなぁ」と思った。

サポートはとってもありがたいです(ㅅ⁎ᵕᴗᵕ⁎) 2023年年末に家族で一時帰国をしようと考えています。2018年のロンボク地震以来、実に5年ぶり。日本の家族と再会するための旅の費用に充てさせていただきます。