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出直し記念日

「元気にしてた?」
「あなたが必要と思うなら続ければいいのよ」

先生の笑顔と言葉で一気に気持ちがほぐれた。

さすがに自分勝手すぎて突き放されるのではないか、自ら願い再開しようとしているレッスンを「続けたくない」と感じてしまうのではないか。
そんな思いで頭がぐるぐるしているうえに、久しぶりに会いに行く緊張感が加わり、「ドキドキする怖い予定」になっていたのに。

30年以上続けている習い事がある。
始まりは親にうまくのせられたのかもしれない。
気づいたら毎週通うことが当たり前の生活になっていた。

社会人になってから10年以上、毎週通い続けられたのは、場所と時間に恵まれていたことも大きかった。当たり前すぎてラッキーな環境に感謝が足りなかったなと今は思う。

色々あってしばらくお休みしていたけれど、やっぱり細々と続けようと決めて連絡をとった。
やらない言い訳は色々できるが、全部言い訳で、「できない」理由にならない。
趣味だからいつやめてもいいし、誰にも何も言われない。自分でもどこを目指しているのか分からないけれど、今やめるのはなんだか違う

就職を機に通えなくなるかもしれないというとき、先生がそれを「自分のからだの一部がなくなるみたいなものだよね」と言い表した、そのかんじ。

これまで20年以上、先生とのやりとりで素敵な言葉をたくさん受け取り、物事に対する姿勢も学んできた。レッスン内容はもちろんだけど、人間として素敵だと思う大人に出会えていることは幸せだと思う。

去る者追わずという姿勢の方なので、自分が連絡を取らなければフェードアウトもありうる。
それは今後も変わらず。

右肩上がりではいかない技術
弾きたい曲と弾ける曲
思い描く演奏と現実

心新たにしても、現状はすぐに変わらないけれど、向き合い方はまたここから模索すればいい、出直し記念日。

聴いていることは楽しい。音を鳴らすともっと楽しい、楽譜をみるとやっぱりおもしろいことがある。響きの中に身を置くと気持ち良い。ピアノを弾く姿勢はどこか、自分の生活・生き方を反映している気がしてならない。続けた先にある景色が見たい。


受け入れてもらえたし、自分が考えているよりももっと軽やかに楽しんでいい、今日感じたこのことは忘れないでおこう。

やっぱりピアノを弾き続けたい、音楽したいと思った日のお話でした。

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