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絵描きの癖にガチ模写をしたのは生涯一度だけ

前に中学時代の自由研究で当時の推し漫画家のイラスト模写をした話を書いた。
以下の後半部分である。

貧乏育ちだから獲得できたお絵描きに必要な能力

イラスト模写は毎年やったんだけどガチだったのはそのうち一度だけだった。
それ以外はなんとなくで全体を描き写したものだったり、真に描きたい参照元イラストだけでは埋まらない画用紙の空白を埋めるために、複数のイラストを合成したり勝手な創作を付け足したりしたからである。

その一度だけのガチ模写はその当時の推し漫画家の人体デッサン力のあまりの高さゆえにたくさんの学びがあり、現在の私の絵の中にもいまだに生きている。
そういう意味ではその時のガチ模写は有効だったと言える。
どのくらいガチだったかというと、主線もカラーで描くために貧乏人の分際でカラーインク(当時はアナログ)を買い、また線の角度アールの角度全てその通り再現し、カラーインクの滲みの形まで元絵と同じに再現するほどどこもかしこも全てそっくりに再現することに心血を注ぎ、ちょっと違和感を感じたら再度描き直したくらいのガチ模写だった。

が、その後模写というものは一切したことがない。
なぜだろう。
余り深く考えてはいなかったが、やりたくなかったのは確かだ。
なんでやりたくなかったのだろう。

まず「出来上がりの完成品がそこにあるものをわざわざなぞるのがつまらない」。
下書き→清書という工程が嫌いという私の性癖と同根で「写し描きがつまらない」と思ってしまうからである。

次に「自分の労力を使ってまで再現したいほど同化したい他人の絵かそもそも存在しない」からである。
再現なら元のオリジナルを描いた本人が描けばよろしい。
他人が再現したところで劣化コピーにしかならない。
そして自分は他人になりたいと思ってない。
他人の絵になりたいとも思ってない。
なので不要。

次は「他人の絵におんぶ抱っこされないと絵が描けないほど画力に不自由していない」。
別に私が達人なわけでも神絵師なわけでもない。
あくまで自分の中ではある程度最低限の納得ラインをクリアした程度の画力でしかないが、自分が納得しているからそれでいいのである。

次は「描きたいものは他人の作品の上ではなく自分の頭の中にあるから」。
他人のもの、特に人気のあるものは既に分類完了、タグ付けやラベリング完了済のテンプレと同じようなものなので自分が描く必然性を覚えない。

でも何より大きいのは、最初のなぞり描きつまらないに通じるんだけども、
私が描いてて楽しいのは「まだ形になってないモヤモヤした無形のものを自分の手で形に表すこと」だからである。
だから「出来上がりの完成品がそこにあるものをわざわざなぞるのがつまらない」になるのである。

…とつらつら考えつつ書いてたらふと思い当たった。
AI生成する人を「AI絵師」と表現することに対する違和感の元が何であるかを。
私の「絵を描く」は「自分の脳内のコレというイメージを具象化し形にすること」なんだけど、AIだと「自分の脳内イメージがビタイチぼんやりでも勝手にそれなりの具象化をしてくれる」からである。
いや、プロンプトによって何度も生成し直して詰めていく過程はAIにもあるのかもしれないけど。
でもあくまで「テキストによるぼんやり指示の繰り返し」であって「脳内に魚の骨みたいに引っかかってるイメージを特定してなんとしてでも吐き出す感じ」じゃないように思う。

テキストでぼんやりというのは「絶対こうでなければならぬ」という喉に引っかかった魚の骨なわけではなく、「ガチャで出たそれっぽいモノなら何でもいい」ように(私の目には)見えるからである。

私の場合「見映えする『結果』」があればよいのではなく、
自分の脳内から喉の魚の骨のような引っかかりを、
自分の腕を通して無形から有形に現すための、
脳から腕、そして手、指先まで通貫する熱エネルギーのようなものを自覚しつつ吐き出したもの

でなくては自分の絵だと実感が湧かないからである。

つまり、

脳から手までの直通エネルギーを感じながら描くことが私にとって「私の絵を描く」こと


なのである。
逆に言うと脳と手の繋がりなくできたものは私にとっては無意味である。

これは多分AI生成画ではまだできないことではないだろうか。

脳内から直接自分の体を通して無形エネルギーを吐き出し有形化する。

これが私にとっての「自分の絵」である。

話を戻すと模写はもちろんこの定義に当てはまらないからやらないということになる。
有形化あるいは具象化の方法論としては、既にテンプレ・簡略化済みの他人のイラストから得るものは、今のところ私にはない。

そもそも自分の脳内イメージを凝らしてはっきり見ようとする「脳内イメージ凝視力」と「物理的な3D(立体)と陰影の法則」、そして「ざっくりの人体構造」、最低限この3つがあれば描ける程度のものしか私は描いていない。
それ以上の高等テクニックは自分は覚えきれないし現時点では必要としていない。
最低限3つだけでも自分の納得レベル程度なら描けるからである。
それ以上の高等技術が必要になったらその時は習得しようとするのではと思うけどね。

…つまり、私の生涯唯一のガチ模写経験は、この最低限3点セットの存在を意識し学んだ原点なのだった。


本文がなかなか書き上がらなくて先にできてた絵。
もちろんこれもビジュアル一切参考なし
自己脳内イメージ純度100%
多少変でも自分がスッキリすればええんや精神の賜物

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