見出し画像

伝承の御仁が尊や命になった時

民族や文明がいただく神話。
西ヨーロッパでは横に広がり、中国では点在、日本神話は統合しながらも、縦に連なっている。

風土記に代表される、地域で語られてきた伝承を別にすれば日本神話は記紀によって体系化されており、オリジナルはおろか参考資料とされる帝紀・旧辞も現存しない。

帝紀・旧辞に記載されていたであろう内容は、主に語り部によって儀式の際に奏上されていたものだろう。語り部とは、部民制の時代に設けられていた、品部と言う職業集団のひとつだ。

記紀に記載された神代部分が日本神話に当たる。

「各豪族が持っていた系図や伝承には誤りもあるため、精査したものを新たにまとめ上げる」と言う主旨で始まった天武持統の時代の一大事業だった。

古事記は国の内側に対して、国(王家)の成り立ちを示し、日本書紀は国の外側に対して、日本国たるものを示す意図があったのだと思う。
書紀の意図は普通にあることだろう。
けれど、古事記の意図はいかにも日本的だ。
この国の王は、王である事の正当性を常に示す必要があるほど、絶対的な存在では無かったからだ。

継体以降、王を出す家系はひとつに集約されていたと思われるが、王位継承権保持者が複数いた事で、王権の継承は常に緊張が付き纏っていた。
そして即位には、各豪族の暗黙の合意が必要だった。
豪族あっての王位だったわけだ。

天智以降、より血統を重視し、更に天武持統が以後安定的に自らの直系に王権を継承させる方向に進めるためには、その根拠を皇統譜によって示す必要があったのだろう。
これにより血なまぐさを排除できたとも言える。

大八島を生み出した家系であるからこそ、王位を継承する正当性を正しく持つ。同時に王たる者は、侵すことのできぬ権威を持ち、その決定は何よりも重いのだと、それを念押すように示す事が必要だったのだろう。
 
「高天原にはじまり遠い〜」文武天皇即位の宣命にあるように、実際持統天皇の文武天皇への譲位は神話によって権威付けられ説明された。

さて、伝承に登場し、記紀によって正当性を付与された神々は、実に厄介だ。
そこはオリジナルからさほど逸脱していないのだろう。
泣きわめき、笑い、嫉妬し、執念深く、陽気だ。
怖れ敬うべき自然界の諸々の投影があったのだろうから当然だ。

歴史として定めようとした者達にとって、重要だったのは崇高な神格より、縦に連なる系統だったに違いない。

神々を正面切って未来永劫公に利用しようとは、神々が苦々しく思うほど彼等の上を行っていたのかも知れない。実にあっぱれ。

先程文武天皇即位の宣命について触れた。
日が昇るでも沈むでも無く、天高く昇りきった太陽の真下にあると言う意味の「日本」と言う国号を正式に定めたのは、女帝持統天皇。

「高天原広野姫」

と言う通称で呼ばれる存在になったと言う。


#note神話部 #記紀 #エッセイ



スキもコメントもサポートも、いただけたら素直に嬉しいです♡