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沈丁花

だいぶ色付いてきたので、写真に撮ってみた。


10年程前の3月下旬。
その日帰宅した時は夜だったからわからなかった。
わたしの住むマンションは一階にあり、小さな『猫の額の庭』がある。
朝、ベランダに出ると、その庭に沈丁花の苗が植えられていた。

誰が植えたのか、そしてそれが何のためなのか、すぐにわかったわたしは気が付くと泣いていた。

前の年の10月。生涯かけてと、今も思っている親友が他界した。
死を前に、彼女はわたしに向かって「化け物を病室から追い出して!」と金切り声をあげた。
理由は、わたしがこれからもまだ生きるからだ。
妬み怒りを力に代えて、危篤から2週間、生きた。
旅立つ日の夜中、わたしの携帯の留守電に「もう最後だから電話した」とひと言残して、逝ってしまった。

何があっても、何がどうでもわたしと彼女は親友だ。それは変わらない。
彼女は沈丁花の花が大好きだった。

その苗は、その時既に障害を負い苦しんでいた娘からの誕生日プレゼントだった。
3月の27日は、その親友の誕生日。
亡くなってから迎える初めての誕生日だった。
娘がどんな気持ちで植えてくれたのか、それを思い泣けてきた。

命があるのだから、と何度思ったか知れない。それでもわたしは欲を出す。娘にいつか障害を克服してもらいたいと。母親だから。娘だから。
辛くて、抜け出したいと思っているのは娘の方だというのにね。

毎年花が終わると勢いよく枝を伸ばす沈丁花。刈り込んで、翌年にまたたくさんの花をつける。
彼女はどこからかこの花を見ているのだろうか。
今年もつぼみが膨らんできている。

親友が闘病中に、この長女と次女が千羽鶴…には届かなかったけれど、かなりの数の鶴を折った。その一枚一枚にこんな文字を書き込んで。

ありがとう

彼女は大切な親友だ。
そしてわたしは娘を、愛している。この気持ちばかりは、ずっと変わりようがない本音なんだな、絶対に。
子離れだの親離れだの、そういうことと関係なく長男にしても次女にしても、やはり同様に。変わらずに。

時々は、こうやって言い切ってしまうのも大切かな、って。まだまだ人生つづきますから。

それから
「今年もまた沈丁花が咲くよ!
誕生日が近いよ!
気がついてくれてるって、思っていいよね⁈」




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