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エッセイ 花


桜前線とは心踊る言葉ですね。
毎年毎年の事ながら、短くも咲き誇る花を愛でる。季語において、心の目で見る桜を「花」と言い表す奥深さには、さもありなんと頷くばかりです。

「花と言えば桜」とは、平安時代から。それ以前は「花と言えば梅」であり、それは唐風文化の影響から来ている、と言われます。
ただこれは文芸にも投影する風情の話であるようにも思えるのです。
どうも桜には、眺めて楽しむ以上に敬う理由があったようだと伝え聞きます。

農耕に関わるカミの存在です。

山のカミが春になると山を降りて田畑のカミになり、実りを左右すると古くから考えられていたとの事。
日本神話では、山のカミの娘である木花咲耶姫の嫁いだ相手が邇邇芸。天孫邇邇芸は、稲穂がにぎにぎしく実るといった意味を持つ豊穣神です。

この両者の婚姻は、山のカミが田畑のカミになると考えられていた話と重なるようです。

文字の無い時代に山のカミをサ神と言い、このサ神が降りてきて座する場所をクラと言っていた事が桜の語源であるとの説も存在します。確かに古語では、座ったり物を乗せたりする物をクラと呼びます。
もしそれが本当であれば、より古い時代の、土着信仰のひとつなのでしょう。

木花咲耶姫のコノハナとは桜の事であると言われる事から、桜木は神木であるとされます。そして木花咲耶姫の姉妹には、石長比売の他に、名前のみが伝わる木花知流比売がいるのです。コノハナチルヒメと読みます。「散る花」なのです。
かつて人々は、桜の花の咲き具合と散り具合で年穀を占ったとされています。
ムラでは庶民の祭りも行われたかも知れないですね。
木花知流比売の名は、幼い頃、わたしも木花咲耶姫と対になる神様として教わった覚えがあります。

このようにより古い時代より、風情とは別の意味で、人々は桜を大切に扱ってきたのでしょう。

美しく咲き誇り、新しく生まれ出た幼い葉を見届けるようにして美しく散る花。

桜前線は今年も北へ北へと向かっていきます。

最後に神話部のリバイバル作品でも紹介された詩を再掲させていただきます。
「花」として綴った詩です。

ほろりはらはら

ほろほろと咲くや桜
鎮守さまがおでましになって
良い子じゃ良い子じゃと
背中で眠る
赤子の頭をなでておいでか

春の霞は微かに色が乗り
ため息ひとつついた後で
うなじにのぼる乳の匂いに
我に帰るのは母か女か

はらはらと散るや桜
行きがよければ
帰りもよいよい
仰ぎ見ればいっときを惜しみつつ
鎮守様の懐で
杜の木々は伸びやかに
やがて青々と薫る風の中

花の命は短くと言う
枝葉の先々を楽しみに
それを祝いあげるのがお務めと


それがゆえに何処の花も
その命は短くあるのでしょう


*神をGODと訳すくらいなら「神」では無く「カミ」と書き表したい🙃
と、言う屁理屈。


#mymyth   #エッセイ #神話創作文芸部ストーリア

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