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呪術的感性の中で

「呪術」というと、どんなイメージが浮かぶだろうか。
鉢巻に蝋燭を差し込んで藁人形を持った血走る目の老女…… とか。確かにそれ「も」あるが、しかし。

話は少し飛ぶ。
ついこの前までは桜を指差して歩く人がたくさんいた場所が今、圧倒的な静に包まれ、青々とした葉に覆われた桜の老木が悠然と立つ。
以前書いた「老木」という詩は、ただそれだけを描写したもの。
何度も何度も目にしてきたこの光景に、強い力、生命力を感じてきた。
とても短い詩の中に、わたしはこれ以上言葉を差し込む事ができなかった。
それはわたしの力不足かも知れないが、そもそも不要だと感じたのも事実だ。

以前にも紹介させていただいた長谷川美智子さんの源氏物語講義の第七回で、このような記述があった。

事実として「気配」がそこに存在していて、それは「あはれ」だった……つまり、この文の最大の主役は「秋の気配」なんです。
……略……
あまりに月が美しいから、あまりに秋の気配が寂しいから、悲しくなる。主役は「情景」。人間はどうでもいい。情景が人間の感情を動かしてゆくのだ~、と思うと、ちょっと源氏が読めてくるような気がしません?

これが紫式部はじめ当時の美意識だったと指摘されている。
(引用は僅かなので詳しくは直接お読みいただきたい)


とてもしっくりくる指摘だと思った。そして実際とても良くわかる感覚だと、感動しながらわたしは思ったのだ。

冒頭で書いた「呪術」とは、広辞苑によると「超自然的存在や神秘的な力に働きかけて種々の目的を達成しようとする意図的な行為。未開・文明を問わずあらゆる社会に見られる」とある。
自然崇拝、土着信仰などの精神性に繋がり、世界的に見ても古代文化や当時の信仰のベースにある感覚となる。

「情景が人の感情を動かす」とは、呪術的なものを感じると、ある友人と話し合った際に指摘を受けた。
確かにその通りだとわたしは感じた。
呪術は「術」とつくから現世利益に直結すべく意図的に施す事を指すのだろうが、自然と受け入れている身近な感覚として「感性」の文字を入れるとわかりやすいと思う。「呪術的感性」だ。

その時に目にした情景が、物言わずにこころのヒダにあるものを晒してゆく。月はただ存在しているだけだろうに、抗いようのない不思議な感覚が掴んで離さない。
これは「呪術的感性」あるいは「呪術的精神性」と言えるのではないか。

日本の歴史の中で、世界各地にも古来からあるこのような精神性は、冒される事なく育まれてきたようだ。

西洋と日本とを比較した場合に言えることは、西洋においては脱呪術的な志向性を強くもった成立宗教あるいは歴史宗教が、呪術的で現世利益的な民俗宗教 ・民間信仰を凌駕していったのに対して、 日本においては反対に仏教など外来の創唱 的な成立宗教は民俗宗教と習合し、むしろその中 に取り込まれていくというプロセスをたどったということであると考えられる。

<京都社会学年報 論文>
日本宗教の文化的特性 : 近代化と呪術的志向性より。沼尻,正之氏著

外から来るものを拒まず受け入れた後、自らに合ったものに作り替えていくのは日本人の特徴のひとつだ。

呪術というと日本では道教由来と考える人もいるかも知れないが、流入において道教経典・道士・道観の導入を伴っておらず、断片的なものにとどまった。
そして呪術は縄文の世からあった事は知られており、共同体における禁忌や呪いといった原始的呪術に伴う呪術的感性・呪術的思考は、列島に住まう人隅々にまで及んでいたと考えられている。

「呪術的感性がもたらす美意識」
源氏物語が書かれたのは平安時代。海外より文化を積極的に受け入れてきた激動の前時代を経て、日本人の精神性に支えられた美意識が芽生えてきた時代でもあろう。
それはやがて日本独特の文化「間」の美意識へと昇華していったのかも知れない。

そして先の友人との話の中で、精神性に関わるのであれば、神話はそこにどう関与しているのか、という話になった。

「日本神話は精神性について第一義的に提示しているようには見えない。けれど当時の人達の社会通念とか感性とか思想が反映されていて、それを体系的にあらわしている。そしてそれは民族の特質にも繋がる。
時代時代において意識無意識共に神話の中に流れるものを受容してきた」
いろいろ意見がでたが、ざっくり纒めるとわたしの中では、このようになるのでは?という事で落ち着いた。

結果的な是非はともかく、古来の呪術に加えての道教の一部、そして儒教、仏教を受け入れても尚、日本を統治した者が歴史書である国書の中に記したのは、いくつもの説話を体系的に編纂した日本神話だということも、日本における精神性についての認識の一端を物語っているのかも知れない。(政治的意味合いとは別に)

このような類いの国書という形の中で示された以上、神話は各地にあり親しまれていた民話と相まって、人々の深層心理に入り込んだとしてもおかしくは無い。
精神性を積極的に提示する目的で書かれているわけでもない神話の中にも、はっきりとした呪術性を示す箇所は存在する。
三柱が誕生する件などはまさにそうだろうと思う。

「お天道様が見ている」「お天道様に顔向けできない事はすまい」
親世代から繰り返し言われて来たことである。
自然崇拝、原始宗教に繋がる感性は現代においても脈々と受け継がれているのではないだろうか。

源氏を代表とした小説に限らず、枕草子等随想に加えて和歌から俳句に至るまで、それは四季・情景と共にあった。俳句には季語は必須とされている。
そしてその表現されたものに、機微や機知、余情を感じるのはある意味当然の事なのだろうと、そんな事を思った。

………………………………

後記
「情景が人の感情を動かす」
感動する一文でした。創作に、日常に、うまく言いあらわす事ができずにいた事を提示してくださった長谷川さん。またそれについて意見交換をしてくれた友人達と、その深い見識に感謝したいと思います。

ありがとうございました。


*気をつけて避けたけど、言い切り口調があったとして、それは単なるわたしの考えじゃ。
*なにぶん言葉の選択が雑なわたくしゆえ、何かおかしな事があればお伝えいただきたい。その時は全力で
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