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黄金の鵄


「筑紫を出てこの三輪の地に降りたってより、どれほどの時が経ったのか」

「父上、ようやくこの時がまいりました。邪馬台の王から倭の王へ。さすればどうぞお話しください、伯母さま…… いえ、日の御声を呼び起こしたという先代の日弥呼について」

「壱与よ、そなたには苦労をかけた。今暫く世話になるが、すまぬ」

立ち去ろうとする背に向かって、壱与が切り裂くように問う。

「墓はどうなさるのじゃ!」

父と呼ばれた男は、ひと言を口にした。

「わしが連れてゆく」

今年の稲は何事もなく育つはず。
壱与の視線の先には、水の入った田があった。


やはりそうなのであろう……
まだほんの子供だと言ってもよかった。ものを知らぬ頃、父に連れられて鵄の使いを名乗る、呪術を扱う者に儀式を受けた日を思い出す。

筑紫、豊、肥、日向を平定して海を越えこの三輪の地に東征を果たした邪馬台。一時は収まった争いの火種が燃えると、王たる父に天の意向を伝える任にあたり、命の終わりを迎えた先代の日弥呼を再びと求められての事だった。

儀式を受けた夜、夢の中に現れた黄金の鵄。真っ直ぐに光集まる日の元へわたしを抱えて飛び立った。
それより先、求められれば鵄の声を日の使いとして聞き、正しきを告げることで、わたしは先代の後を継ぎ日弥呼となった。

けれど……

叔母の日弥呼は、生まれた時から日の御声を呼び寄せた御子だったために、亡くなった祖父母の他で、その姿を見ることができたのは、父だけだったと言う。だれもその名前すら知らず、母もまた口を閉ざす。

このわたしが日弥呼を継ぐとは、大層恐ろしかった。あたかも天の使いの如く、誰にも会わず、この一生を捧げるなどできるものだろうかと。遠く魏の国にまでその名が知れているのだから。
しかしこのわたしは、人々の前に姿を見せる事を許され、父とふたりの時は、壱与と名を呼ばれた。
わたしは人として生きる事を半ば許されていたのだ。

それだからこそ、わたしは気付いてしまった。
姿を見せないのでは無い。もしかしたら、父に姉など、居なかったのでは無いのか、と。

黄金の鵄の声とは、父の声では無いのか、と。

先代日弥呼は墓も持たず、勾玉だけを残して天に召されたなどと、理解が及ぶはずもない。
墓はどうすると問うたわたしに、父は、自分が連れてゆくと言った。
そう言う事なのだ。
ならばそれで良い。わたしはただ日弥呼を続けよう。

争いが収まったとは言え、隙あればと狙う者もある。何としても鉄を押さえねば。わたしが生きている限り出雲、吉備の口を塞ごうぞ。

そして歴史を作らねばならぬ。
父は、奴国王の血を引く証として剣を賜ったと言う。我が身が日弥呼である証のこの勾玉と剣をもって、祭司の場を定めるとしよう。
日の化身として我が身が王を支えたと、後々まで語り継がれるべき祭司の場にこそ、王に眠っていただこう。

わたしは日弥呼でいよう。
戦いで荒れたこの大地が、たわわに実る稲で覆われるその日まで。


後に三輪において小高い丘が作られ、王の墓とされた。この墓は箸墓と呼ばれ、各地の有力者もこれにならい、同様の墓を持ち連合の証とされた。
箸墓に眠る事になった王、壱与の父の名は伝えられず、後に御肇国天皇(はつくにしらすすめらみこと) 崇神と呼ばれた。
尚、この時に壱与が受け継いだ勾玉が、黄金の鵄の描かれた王の柩に入れられた事も、あまり知られていない。

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誰が何と言おうと完全なるフィクション

日弥呼 卑弥呼のことを敢えて日弥呼とした。
金鵄は『日本書紀』に登場し、神武天皇による日本建国を導いたとされる鳥。
王を奴国の血筋とする事で、この王の前に偉大な王の血統の物語があるかのように企んでみた。

以前書いたこちらに沿ってます。

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