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日本「の」神話


本当は「庶民によって広く歌われていた素朴な歌をベースに、後から物語らしい肉付けをした」について書きたいのだ。
ただそこまでの力がわたしには無い。
日本神話の話だ。
なのでやめておく←冒頭がこれかよ。

別の角度から考えた事を書いてみたい。
何度も書いてきた事を性懲りも無く掘り下げられればと思う。

一般に日本神話と言われるものは、王権の正当性の提示を主な動機とした、記紀と言う国書の中に収められている話が主体となる。
帝紀旧辞の成立から国記編纂にかけての時期、日本ではまだ神仏習合には至っていない。宗教として対立がある時代だ。
後から触れるが、現代においても感覚的にしっくりくる精神性は、恐らく神仏習合がキーポイントになっているように思う。

そして同時に、大陸と対峙する際に引けを取らない国家像を示そうとしていた時代背景があったという事も考慮する必要があるだろう。

日本神話は、神話の原型、あるいはその後の社会が持ち得た呪術性を反映させつつも、それが発展したような精神性を第一に語っているようには感じられない。
文学がまだ未発達だったと言う理由があったかも知れないが、ダイナミックでありながら、どこか表面的な、乾いた印象がわたしにはある。
それは上に書いたような理由ではないかと思っている。王権の正当性と大義を示すための確固たる歴史文献という位置付けだからだ。

「神話」ではなく「神代」なのだ。

またその事の前に日本において、この時代の宗教が個々の精神性に作用すべく存在していたと言うより、天下安寧、鎮護国家を目的として存在していたと言う事情もある。

一般に日本神話と呼ばれるものが、記紀と言う枠の中に収まってしまっているのは残念な話だが、王権奪取のための大きな内乱を引き起こさないためにも当時はそうする必要があったのだと理解する。
(この辺を書き出すと長くなるのでここでストップ!)

一方で言い伝えと言われるような民話や伝説は、こちらの方が神話らしさがあると感じる程、精神性の色濃い物語がある。
記紀にある日本神話の影響は、神道を通じて受け継がれていただろが、作り手が違う。広く民衆の手によって誕生した物語なのだ。

竹取物語や御伽草子の数々など、それらは記紀編纂から時代がくだった平安時代に始まるという。
とりわけ密教や陰陽道が広がり、同時に神仏習合が進み、これらが民衆にまで浸透した後期から鎌倉を経て室町に至る時代に多く見出す事ができるように思う。
(実際の成立時期は不明)

「鬼」や「天狗」といった新しいキャラクターも、様々なシーンで登場する。

記紀の中に収まってしまった「日本神話」以外、そこに載らなかった話にも「神話」と冠がつくように、宗教や理の説明を含む精神性に寄り添うものが神話であるならば、広く民衆の中に生きる民話も、日本「の」神話ではないだろうか。

民衆の中で生まれたであろう神話の礎が、ダイナミックに国家創世の物語に生まれ変わり、やがて再び民衆が物語を生み出すに至ったと言えるかも知れない。

物事の説明には「大昔から言われていた」を根拠とする場合がある。その大昔とは、いつのどんな時代なのか。長い時間軸の中で層になった「大昔」をひとまとめにしてしまう事は、神話のみならず、国の内外の歴史を見誤り、歪んだ思想を持つ事になりかねず注意が必要だ。

少し脱線した。話を戻す。

時代を経て学習歴の増えた人々が、世相を背景に良くも悪くも身近に神や鬼を置いた。
神仏習合の節々にあるものが、より呪術性を帯びて浮かび上がってきた時代だとも思っている。

「触れて良いやら悪いやらわからぬ怖いもの」

詳しくは避けるが、差別と言う負の遺産となるものをも内包している。

一方で神仏習合は、精神性の発露である美意識を確立させた。
海に囲まれ火山が多く、荒ぶる神に平寧を祈る。四季の移ろいや儚さに「無常」を見出す。ここに自然崇拝と仏教由来の死生観が融合している。

上に書いた残念ながらの負の遺産。これもいわゆる機微の中に美が溶け込む事に関与した一面だと認めよう。
自然と無常。呪術的美意識は、高みを目指す芸術から、個々人が吸い寄せられるものとして感じる心の目にまで息づいている。
先に書いた「現代においてもしっくりくる精神性」とはこれを指している。

「儚さにある、言うに言えない一瞬の美」

一番示したい事を敢えて見せずに感じ取れと言う 笑
詩歌も同じだ。言葉にしないところに情感を落とし込み、極端に短い歌へと進んだのが日本の詩歌だろう。

神話と呼ばれるようになった、かつての素朴な歌を歌っていたと思われる古人は、日本の詩歌を見聞きしたら何と言うだろう。

「なにがなんだか、どこがいいのかさっぱりわからん」

ではないかと思う、多分。


世界を見渡せば、元来詩は神話と切り離せないもので、それは日本においても例外では無いはずだ。
そしてその神話とは「日本神話」の枠内ではない所で育った「日本の神話」も当てはまるのだと思う。

もっと言えば、古典に限らず人がいる限りそれぞれの時代に神話は生まれるのだろう。

自由詩にしろ、韻文詩歌にしろ、向き合い方は千差万別。わたしは

「神話性や美意識とは切り離さない」

と、そこを大切にできるようもう少し頑張ってみたいと思う。

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偉そうに長々と書いた。
以上、これらは全てわたし個人の日本「の」神話に対する感想であって、正しい見方であるかどうかはわからないと付け加えておきたい。←イマサラ

本文中の「民衆の中で生まれた神話の礎が」

だからわたしは「民衆に歌われていた」について書きたかったのだ←書いてから言えよ😮‍💨


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