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昭和がある桜の下



毎年のように出しているこの桜。


夜はいくつかテーブルが出て、焼き鳥を肴に、一杯ひっかけながら桜を楽しむ。
イルミネーションとは呼べないほんの少しの電飾と提灯の夜桜だ。

ソフトドリンクが良ければ「自販機で買って」と言われる。自販機の値段も安く設定されている。

昼間は缶コーヒーでタバコ一服の息抜きに人が集まる。スタンド式の灰皿が置かれているのだ。
駅前であっても敷地内と言う見立てだろうか、取り締まりはお目こぼしだ。

そうそう「常識者」が眉をひそめつつ、眉をひそめるだけで素通りするような空間が昔は今よりもあったように思う。息苦しさから隠れたくなる時には助けられた。

柏駅周辺には今も隠れる場所がそれなりにある。
ウラハラならぬウラカシと呼ばれるエリアが中心だ。規律正しき今の時代から、訪ねた人をしばし隠してくれる。
もちろんいかがわしい店もちゃんと存在する。
亡くなったわたしの親友を通して知り合った、このウラカシの頭のような存在の友人がいた。ショットバーを営み常連と呑むのが仕事だったので、肝臓を壊して亡くなった。それ以降わたしの足はウラカシから遠のいた。

彼の死と、親友の死はわたしの中で「何かの終わり」をもたらした。傷はまだ完全には癒えてはいない。

それだからと言う訳でもないが、この桜の木がある一角、ここがある事でわたしは安心する。ゴミひとつないマニュアル化された規律の中で、この桜の木の下が貫く昭和。

そう言えば悠凜さんと出かけてあともう一軒寄ろうとなった時、わたしが言ったのは
ガード下の赤提灯がいい」だったっけ。

昭和育ちはカビが生えても昭和を忘れられないようだ。
遠のいているものの、この身を隠してくれる場所と写真の桜の一本木をわたしはずっと愛していくのだろう。

季語では桜の事を「花」と呼ぶ場合が多い。その事の意味をいつまでも感じながら。



#エッセイ #花テロ

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