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天宇受売命という存在 前編


日本神話の中でわたしが最も好きなキャラクターは天宇受売命(アメノウズメ)だ。
彼女の説話から、古い古い時代の素朴な神話の精神を垣間見る事ができるからだ。
さてその上で、後世①かかる説話から彼女の存在を薄めてしまったように感じられる事。②彼女の事を具体的には見出せずとも、強く彼女の存在を感じる事。このふたつの事象について、前後編にわけて書いてみたい。
それによって、わたしの胸中に湧く神話の世界観を、多少なりとも言語化できればと思う。

尚、これはあくまでもわたしの勝手な主観である事をお断りしておく。

前編 ① 遊楽に至る

あな おもしろ(面白)
あな たのし(楽し)
あな さやけ(晴明)
おけ(神楽歌の囃子言葉)

天の岩戸からアマテラスを引き出す事に成功した時、光を受けて神々の顔は白く映え、楽しみに満ち、全てが光輝いた。
そのような意味になると思うが、この囃子歌が挿入されているのは、平安時代に編纂された古語拾遺においてである。記紀に記載されているものでは無い。

古語拾遺は、斎部氏(旧忌部氏)の手によって作られた資料だ。
朝廷の祭祀を司る氏族として、並び立つ中臣氏の勢力が強くなり過ぎていた事に対する、牽制目的で書かれたとの見方が有力だ。
記紀神話自体がフィクションなので、そこに新たな脚色を加えた事の是非に関係なく、れっきとした資料にこの囃子歌がある事を今は重視する。
そこから遥かに下った時代、かの世阿弥がこれを使ったとされるからだ。
「アマテラスが岩戸から出てきた時の面白く、楽しく、晴明に」これがいわゆる「#能とは」の真髄であると述べているようだ。
故に世阿弥は、能楽は神楽が由来であると、そのように主張したとされている。

世阿弥は能楽の祖に秦河勝を置く。歴史的に見れば、散楽が渡来し、それが猿楽となる。その後、更なる発展を伴い能楽として確立するが、能は猿楽では無く申楽であると世阿弥は言う。
秦河勝が献上した舞楽を見て、推古天皇が大層喜ばれた。そこで聖徳太子は神楽の神から申の文字を取ってその舞楽を申楽と命名したと主張した。
これが史実でない事は明らかにされている。

実際河勝が渡来した伎楽(散楽では無い)を献上した事は文献に残るようだが、そこまでの話のようだ。
ましてや神楽が成立したのは平安時代になってからである。
それでも能楽の祖を秦河勝にする事で、世阿弥が目指す能楽たるものの、思想的根拠が整うようなのだ。
申楽と太子が名付けたとする事で、帝の源流である神代に繋げる事ができる。

当時広く言われた散楽ー猿楽が持つイメージを嫌った事もあるだろう。「幽玄」を取り入れた世阿弥の作品は、散楽ー猿楽より芸術性が高く、崇高なイメージを持つ事も事実だ。

アマテラスが岩戸から出て来る事により辺りに満ち満ちた

あな おもしろ(面白)
あな たのし(楽し)
あな さやけ(晴明)
おけ(神楽歌の囃子言葉)

これこそが「花」であると世阿弥は言う。
よって能楽は神楽由来の申楽であるとし、更にこのアマテラスの再現を「神アソヒ」と捉えて、能楽を時に遊楽と言い表している。

さて、ここまで書いて来た事は、いくつかの文献を当たり、ざっくりとまとめたものだ。

「そうなっていったのか」と、わたしは残念でならない。
世阿弥が言うところの神アソヒや、面白〜晴明を「花」とするならば、「申楽」ではなく「猿楽」こそ相応しいと考えるからだ。
確かに猿楽の猿は、滑稽を伴う踊りや物真似からイメージされたのかも知れない。元々散楽とは渡来したものであり、そういったものである。

一方で、神楽と言いながら、この視点が排除されているように見える事が、わたしには残念で仕方ないのだ。
「神アソヒ」に欠かせないのはアメノウズメである。
滑稽でエロティックとも言える彼女の踊りこそが、アマテラス再現に至る舞踏であったはずだ。
記紀によれば、アメノウズメは天孫降臨に随行し、猿田彦と出会い猿女君(君はカバネ)の祖となった、とされる。祭祀に関わる重要な役目を担い、後に猿女君は稗田の氏を与えられるようになる。
猿女君が担う猿女なるものは、鎮魂祭と大嘗祭の際に神に舞を奉納する事が役目とされる。
アメノウズメ由来であるのは言うまでもない。
彼女の存在がフィクションである事は問題では無い。そのような説話が存在し、意味付けされている事が事実としてあるからだ。
とりわけ世阿弥が引用した古語拾遺では、より猿女の役割を重視する記載がなされている。
また、研究者によっては、猿女と猿楽の芸には一脈通じる部分があるとしている。

何故猿楽を嫌い申楽に拘ったのか。世阿弥が残した書物の中で、アメノウズメへの言及はごく最小限であったと言う。


#mymyth #コラム #だからどうしたがわたしのコラム


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