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めくるめく

夏は胸の中、郷愁で溢れる季節だ。
他の季節に比べて特別な思い出が多かったのか?と聞かれれば果たしてどうだろう。
単に覚えている事の多くに、その季節は「夏」だったとそれだけなんだと思う。
いや、違うな。それだけ夏休みというものが子供にとって特別だったと、そういう事だろう。

昼間観る3チャンネルの人形劇。
ラジオ体操のカードに増える判子。
毎朝数えた朝顔の花。
駄菓子屋のおばちゃんがプシュっと栓を抜き渡されるラムネ。

こんなにも夏休みが待ち遠しいと知るために、学校があったんじゃないかと思うほどだ。
ガラクタを後生大事にお煎餅が入っていたブリキ缶にしまい込んだ子供時代。
わたしにとって夏休みは、そのブリキ缶の中身そのものなのだ。

夏になると郷愁とは別にもうひとつ。
わたしの感覚はどうも江戸前に寄っていくようだ。
時代劇に出てくるような深川のお姐さんに憧れてきた。
あるいは前掛けをして、既に小走りというような歩き方をする、面倒見のいい小料理屋の女将とか。
note商店街の夏祭りで登場したおりつさんがそうだ。
夏になるとそんな話に触れたくなるのだから不思議だ。

そう言えば「小股の切れ上がったいい女」の小股とはなんぞやと、土曜絵画と一緒に出したのも夏だ。
答えは足の指で、切れ上がったいい女とは「恐らく鼻緒をしっかりと掴み、ダラダラとしたベタ足ではないシャンとした歩き方をする女性の事ではないか?と思う」と書いた。

この絵の時だ。


縁日の水飴は梅ジャムに限るとか、ホウズキはそれこそ金魚に似てるとか、目に浮かぶ、どうでもいいような情景に事欠かないのが夏なのだ。

昨今の状況を考えたとしても、ささやかな情景を思い出す程度には粋な世の中であって欲しい。

ただ残念ながら、それと創作が結びつくかどうかは全く別の話と言う事で、なんにせよ纏まりのない話をダラダラとお粗末さま。


#エッセイ

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