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掌編 その涙我が胸に落とさば


姉様が治める以外には無いのです。母上からの譲位、断る事などできますまい。
姉様が大神様におなりあそばすのです。
ご心配あそばすな。姉様をお守りするがごとく我が夫、長屋が控えております。

さしずめ夫は月読命、それで良いのです。


梅は見頃を迎えていた。
静かな夕刻に、白く小さな花が匂い立つ。
臥す事の多くなった氷高ではあったが、寝所から春の夕焼けを眺めた。
藤原四兄弟の罠にはまり、吉備と長屋が謀叛の罪を着せられて自害してよりもう二十年の月日が経つ。
ただひとりの可愛い妹であった。

運命さだめを全うしたのだろうか。
天照大神のご意向を受け継ぐに相応しかった偉大な祖母持統。父である草壁が世を去り、その後を継いだはずの弟の珂瑠が命を落とした時には既に決まっていたのだろう。

世を治める以外に道は無かった。女としての幸せも、母になる喜びも知らずに命を終えようとしている。
吉備は知っていたのだろうか。
わたくしが長屋を愛おしく思っていた事を。ただ一度の恋であった事を。

わたくしの運命を知っていたからこそ、長屋に女の幸せを求める事を諦めたのだ。
確かに長屋と吉備は、よくわたくしを支えてくれた。
けれど日倫である大神を継ぐわたくしに月読とは。
決してふれあう事のできぬ存在としてのみ、心を寄せ合えと。

どれほど苦しかったか。大神を受け継ぐスメラミコトとは、どれほど孤独だったか。
わたくしは女として、ただの女の身として長屋を想っていました。
吉備よ、残酷な妹よ。
長屋がわたくしを支えるのだから、安心して即位せよとは。

それでも何よりも耐え難かったのは、血肉を分けたあなたを死なせてしまった事。
あなたが長屋と共に命を落とした日に、わたくしの心は死んだ。

わたくしは絹の衣を血で汚す、平凡な生身の人間なのです。

ただ、とは言えそれもじきに終わる……

夕映えを受けて黄金に染まる梅の花。
沈もうとする夕陽に向かって、年老いた太上天皇は泣いた。
訪れる暗闇に抗うような紅い空。そこを流れる雲の帯。
即位してより、ついぞ誰にも見せた事の無かった涙であった。

生涯を独身で過ごした初めての女帝として知られる氷高は、748年若葉が生い茂る頃に孤独な生涯を閉じた。思慮深く、温厚な人柄であったと言う。


養老律令制定
日本書紀完成
三世一身法発布

漢風諡号 元正天皇
和風諡号 日本根子高瑞浄足姫天皇
諱    氷高


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吉備 元正天皇の妹にて内親王
長屋 太政大臣高市皇子の長男にて王

妄想←
但し、氷高が長屋を愛していたと言う設定のみ永井路子氏の小説の設定を借用した。
また記憶を掘り起こしての創作のため、時系列など間違っていたらごめんなさい😪

神話部三月のお題「兄弟姉妹」


#mymyth202203     #掌編

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