え、そこで完結ですが
正直、唐突過ぎるのだ。
神話部に寄せるコラムや論考もどきの記事が。
当のわたし自身がそう思っている。それを何とかしてくれているのが神話部の存在だ。
部長の矢口さんが覚え書きを出された。これは神話というモチーフであるがゆえ、非常にデリケートに扱うべきという信念の現れだと思っている。
宗教性や信仰性と切り離す事が難しく、思想の誘導を促しかねないからだ。
エッセイ、コラムの類いを書く時に気を付けている事がある。
わたしが書くものは、神話がそこで何を言おうとしているのか?神話をどのように取り扱ってきたのか?などなどを文献をあたりながら考える歴史からのアプローチが主体だ。
それだけにこれが正解だというような言葉で言い切る事を避けている。当たり前だか実際に裏付けの取れない事が殆どだからだ。
具体的には、歴史的にほぼ統一した見解になっている論説に対しては
「〜と、言われている」
まだそこまで充分に検証されていない論説には
「〜と(も)言われている」
みたいな書き方にしているし、それらを元にしたわたしの考えは、あくまで私見だとわかる書き方をしているつもりだ。
そうやって書いたものを実際に記事として出すと「ふむふむなるほど……で?」となるだろうなと自分に突っ込む。
以前わたしが書いた「特に役立つわけじゃない」とは、「で?」以降は無いという意味だ。
知りたいという欲を満たして、それを書いて完結なのだ。←
だからこそ冒頭に書いたように「唐突」という話になる。知りたくて調べながら考察した内容は、一般的に興味を持たれるような内容ではないと自覚しているからだ。
例えば料理好きな人が、挑戦して作ってみましたとか、イラスト好きな人が描いてみましたと素敵な記事を投稿する。それと同じ感覚なのだ。
だから神話部の存在がありがたい。
「神話部への寄稿だね」と思って貰えれば、タイムラインにいきなり発火器がどうのこうのとか、神話と性行為は切り離せなくない?とか流れてきても、「…で?」には目を瞑って「ふむふむ」で止まるのではないか?との期待が持てるのだ。
神話を使った文芸サークルという位置付けなので、わたしが書くようなコラム・論考はそぐわないかも知れない。
それでも許容してくれる神話部に心から感謝している。
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