見出し画像

結婚式

ジューンブライド

憧れる女子は多い。
しかし今年は厳しい状況があって例年とは違う。リモート婚も出現した。

気候の良い発祥の地欧州に比べて、日本は梅雨時。
新郎新婦のアテンド(介添え)や、婚礼のキャプテンアシスタントをやっていて、実際かわいそうだなと感じた花嫁さんも多かった。
フラワーシャワーやブーケトスは、雨降りの屋外ではおこなえない。

花嫁さんはここに全てを注ぐ夢を見て、当日を迎える。
緊張と夢見心地。
当然だ。わたしだってそうだったと、昔々の色褪せた思い出を振り返る。

以前にも記事にしたかどうか……
今一度書いてみたい。

良い結婚式だったと、しみじみ思う場合、決まってそこに横たわるものがあった。例え雨で内容に変更があったにしても、だ。

何のために結婚式を行うのか、その心持ちだ。

何を偉そうに言うか…… いや、わたしの勝手な持論中の持論に過ぎないと承知の上で、こればかりは言わせていただく。年寄りの戯言だと思って許していただきたい。

結婚式は、これから家族になり、共に生きて行く事を自らに誓う儀式。
披露宴は、今までお世話になった方々に感謝の気持ちを伝えると共に、結婚式同様これから家族になり共に生きてゆくことを、皆に誓う場だと、わたしは思っている。

それが頭にあったからだろうか、新郎新婦が同席する場合尚更、わたしは親族紹介をとても重視していた。それまでフレンドリーに接していても、一瞬気持ち良く緊張感が漂うように、一転して少々堅苦しい口上を述べるのを常としていた。一度我に返ってもらうためだ。
わたし自身の緊張もマックスになる瞬間。恥ずかしいなんて言ってられない。
そしてご両親、おじいちゃんおばあちゃんにはとりわけ気遣いを見せる事で、何が大切なのかを再確認していただければと、思っていた。

先にあげたような気持ちで式と披露宴に臨まれるおふたりは、どんな豪華な演出も及ばない素晴らしいものを参列者にお見せする事ができる。

それは

背筋の伸びたこの上なく美しい一礼だ。 

そして、結婚式は花嫁のものと勘違いしていたかも知れない新郎の口から出る最後の謝辞に、全てが集約されると感じていた。

派手、地味は関係ない。
友人中心でも、親族中心でも、仕事関係の方中心でも、そこも関係ない。
祝福のために集ってくれた参列者への感謝が一番にあるかないかだ。
これは、間違いなく醸し出される。

スタッフにとっては日頃から見慣れた式、披露宴だ。でも今日の披露宴良かったよね〜と、漏れ聞こえるような時がある。不思議だ。
そんな時は皆幸せな気持ちになれる。

わたしは未熟なままにこの仕事を終えた。
それでも、お世話をさせていただいた多くのご夫婦には幸せな日々を過ごしていて欲しいと、今も変わらず思っている。

昨今のご時世により、リモート祝言を挙げられたカップルをテレビで拝見した。
そう、このリモート婚を拝見した事で記事を書こうと思った次第だ。
大変素晴らしい婚礼だった。想いは双方に通じたようで、ご立派だと感激した。

今年の疫病によって悲しい思いをされたであろう多くのカップルの方々にも、幸せなスタートをきっていただきたいと、願ってやまない。


#婚礼 #エッセイ

スキもコメントもサポートも、いただけたら素直に嬉しいです♡