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本物の一流とは

「担任の先生はみどり先生がよかった〜」

 4月だとこんな言葉を聞く機会があります。一緒に過ごしてきた時間が長い分、新しい担任に慣れないことも多いでしょう。しかし、この言葉に騙されてはいけません。先生に媚びを売る(そんなつもりはなくとも)発言でもありますし、何よりこれは私の学級経営が二流であったということだと思ってます。

 一般企業に勤めていたとき、配置換えがありました。そのとき上司は「顧客に前の担当者が良かったと思わせるのは二流だ。誰が担当でも会社との関係を続けてもらえるようにするのが一流である」と言っていました。これって担任にも言えると思うのです。

 私がある生徒を担任したときに「今のクラス楽しい?」と聞いたのです。その生徒は「今のクラスも楽しいが、前のクラスが最高すぎてそれを越えられない」と言われたことがあります。確かに前年度、その生徒がいたクラスは楽しそうではありました。ただ、教員目線だと、それは秩序が弱いクラスでもありました。他のクラスでは許されない行動が許されていましたし、馴れ合いの学級集団だったので、成績もあまり良くなかった印象でした。

 学校も組織である以上、学校や学年という視野を持って働かなくてはならないと思います。来年度に誰が担任しても大丈夫なようにしておく必要があります。つい優しさを勘違いして、私だからできることをしてはダメなのです。それは持続可能ではありません。そういうちょっとした気遣いが生徒が将来、働く時に、どんな環境に置かれても大丈夫な社会人を育てることにつながると思うのです。いわゆるブラック企業で働けるということではなく、自信や自己有用感を持って、生活できるようになるという意味です。もちろん、所属感を持たせる意味で楽しいと思わせる学級経営は大事です。ただ、その担任ではなくてはダメと思わせるのは先につながらないと思うのです。学校という場が自己実現できる場所であるから有意義だと感じることが大切で、その先生だから良いというのはなめられているのと同じです。

 私の学級経営もまだまだで、来年度はどんな環境でも頑張ってみますと言ってくれる生徒だけではありません。変化を怖がる生徒がいるのも事実です。
しかし、最初の言葉も5月を過ぎれば聞く機会も減ります。クラスに安心感が生まれてくる頃だからです。

 担任ガチャという言葉は私はあんまり好きではありません。組織に帰属する人間としては、どういう場所にいても大丈夫と思われるような場を作ることと先を見越した指導で生徒たちが自己実現する場を提供したいものです。

 本年度はちょっと自由にやりすぎました。ちょっと手を貸したいところを我慢するのも教員の仕事です。反省を込め、一流と言われる教員、担任を目指したいと思いました。


では、また。