暗転 急

「もう一回、着て見られましたか?」
「はい、先ほど着てみました」
「そうでしたか、なら大丈夫そうですね」
結城さんの時折、あざとい仕草を見せる。しかし、かわいい娘を演じている姿は、人間味が感じられ嫌いではない。

「私、事務所にスタッフコート取りに行ってきますので、少し待っていてくださいね」
先ほどまでは、何とか理由をつけて仕事を断るとつもりだったが、結城さんの遅刻という急展開により、今更、言い出せる状況でもなくなってしまった。
この仕事をやった後、自分は今まで通り、大学内で堂々と自分らしく振舞えるのか、非常に不安になった。みんなと騒いでいる時、あの恥ずかしい自分の姿を思い出すのではないだろうか。子供より低い目線で大衆の前を歩かせられ、自信をもって女性にアプローチできるのか。
………次々と思い浮かぶ不安と恐怖が脳内を支配していった。

「お待たせしましたー」
結城さんが戻ってきたようだ。頭の中では様々な思考が入り乱れ、もはや時間の感覚なんてなくなっていた。

「15分後に出番なのでそろそろ準備始めていきましょう」
結城さんに促されるままに準備を始めるため、重い腰を上げる。

「とりあえず、靴は脱いでもらって、この白いズボンはいてくださいね。一人だと入るの難しいので、必要な時はお手伝いいたします。なんでも言ってくださいね」

彼女に手渡されたズボンをはいていく。下のズボンと重ね着状態になっているため、非常にごわごわしているし、何より分厚い不格好な白いズボンは恥ずかしい。

「あの…一応、上のシャツはズボンに入れたほうがよろしいかと思います…中でシャツが胸くらいまではだけてくることもありますので」

指示に従い、シャツを白いズボンに入れるが、さらにひどい恰好を彼女にさらすこととなった。
先ほど、教えてもらった通りに体を這うようにして滑り込ませ、いつでも足を着ぐるみから出せるように脚を伸ばすことで腰を上げる。結城さんにも準備できたことが伝わったのか。あげますねと声がかかる。

「せーの」

小野田さんとは違い女性らしくゆっくりと持ち上げていたのが、印象的だった。足を出すことには成功したが、肝心の着ぐるみの肌となる白いズボンが穴の部分で引っかかっていたため、結城さんは、丁寧に白いズボンが出てくるよう直してくれた。中腰で踏ん張っている姿をまじまじと見られるのは、なんて屈辱的なのだろうか。

「安野さーん、ズボン治りましたよ。前足を持ってきますね」

自分と結城さんしかいないこの空間では、前足を取りに行く結城さんの足音だけがやけに大きく聞こえた。

「安野さん、入れるので掴んでくださいね」

結城さんは、右手の方から一本ずつ手渡してくれた。両手に渡されたものを掴むと、言われる前に前足が地面につくように前傾姿勢をとった。
何より、指示されてそれに従ったという構図がたまらなく嫌だった。膝を伸ばした四つん這いの姿を強制されており、視界もほとんど地面しか見えていない。唯一、開いている後ろに関しては、体勢的に見ることができず、結城さんが今どこにいるかもわからない。
もし、後ろからじろじろ見られているかと思うと悔しくてたまらない。

「安野さん、キャラクター用の靴履いてもらいたいので、どちらの足かあげてもらってもいいですか?」

ただでさえ、きつい姿勢だというのにそれに拍車をかけるような要求だった。身体をプルプルと震わせながら、犬が小便をする時のような体勢をとっている自分は、さぞ、可愛らしく惨めであるに違いない。
靴を履かせるために、結城さんは俺の足を掴み、丁寧に履かせてくれている。ただ靴を履くことさえ、できない己の無力さに自尊心が傷つけられる。
息が上がり、今すぐにでも脱ぎこの体勢から解放されたいと全身が叫んでいる。今からあと30分間もこのままの姿勢をとり続けなければならないと思うとパニックに陥りそうだ。右足に靴を履かせられ、左足を上げるよう指示された。
彼女の指示に忠実に従う自分は、忠実なペットになったようで今後も永遠に逆らえないような気がした。

「靴履かせられたので、左足下ろしてもらって大丈夫ですよ」

左足を下ろす。自分の姿勢は、あまりの肉体的な疲労からか内股で踏ん張ることでしか体勢を維持できない。今まさに後ろからその姿を見下ろしている彼女は、さぞ、支配感に満たされているであろう。

「あとは、後ろの蓋を閉めるだけですね。しっかりリードしますので、頑張ってくださいね」

頑張ってくださいの一言は、皮肉のように感じてしまう。今、目の前で恥ずかしい体勢をとっているものにそのような言葉をかけるのは適切なのだろうか。少なくとも、自分にとっては応援の言葉としてとらえることはできず、ただ羞恥心をくすぐられるだけだった。

急に視界が失われ、周囲は暗闇に包まれた。
そして、自分はこの世界から消えた。
そこには、皆が望んでいるキャラクターがかわいらしく存在している。
アテンドの誘導に従い、四足を小刻みに動かし可愛らしくイベントブースへと向かっていた。

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