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ほとんど眠る恋人




彼の寝息に合わせて僕も眠ろうとしていた。
慎太郎は奥歯の方で歯軋りをしている。すー、すー、という寝息の合間でたまにギリギリという音がする。寝息と歯軋りは一定のリズムのようでいて、全くそんなことがない。だから彼の寝息に合わせようとするたびに失敗し続けていた。慎太郎の寝顔は歯軋りの音に反して、ふやけたみたいに緩んで気持ちよさそうだった。二重顎がたぷたぷしていて、手を伸ばしたくなる。撫でるとくすぐったいらしく、触らせてくれない。眠っている彼の頬を撫でてみるとぴく、と瞼が動いて起こしてしまうんじゃないかと思った。
出会った当初、なんで頬が赤いのか聞いたら「わからない」とはにかんで答えたことをよく覚えている。慎太郎は身長が185センチもあるのに子供みたいに顔が丸くて頬が赤くて、くっきりした茶色い目をしている。全体的に色素が薄くて、細くて柔らかい髪の毛も茶色い。鼻筋は通っていて、顔のパーツの中でいちばんここが整っていると指差して自慢された。確かに整った顔立ちをしていると思う。初めて会った時から今まで、慎太郎の顔がタイプだと思い続けている。
友達と恋人の話になって、慎太郎の写真を見せたら、大抵「優しそうだね」と言われる。それは特に言うことが無いからそう言うのではなく、本当にそうだから優しそうと言うのだ。イケメンじゃん、とかかっこいいとか羨ましいとか、そういうことを言われたことはないけれど、友達は皆慎太郎のことを見た目だけで良い彼氏のようだ、思ってくれている。そして友人たちは優しそうという感想と共に「ふたりとも、顔そっくりじゃん」とも言った。
僕は鼻ぺちゃで慎太郎みたいな茶色い瞳じゃないけれど、丸顔なところとか目の形とか総じて童顔で子供っぽいところとか、優しそうだと言われることは確かに慎太郎に似ている気がする。慎太郎と恋人同士になってから、僕と慎太郎は互いに少し太って輪郭がぼやけてきた。慎太郎は僕と付き合うまで洋服に興味がなかったから、僕が着なくなった服をあげているうちに服の系統まで似てきた気がする。
僕らがそっくりって言われたことを慎太郎に伝えると、慎太郎はしかめっつらをした。写真を友達に見せることが不満なのだ。
「圭人は友達に自分のこと喋れるもんね」
慎太郎は言った。僕たちはこのことで何回か喧嘩してきた。
長い間恋人ができなかった僕が慎太郎と出会ったことを周りの友人たちは祝福してくれる。友人たちは皆慎太郎に会ってみたいとも言った。慎太郎にそれを伝えても「いつかね」と困り顔で断った。
慎太郎は僕らのことを周りに喋らない。僕とのことで悩みがあっても、僕以外に悩みを打ち明ける人はいない。
「ねむれないの?」
薄く目をひらいて慎太郎が言った。ほとんど眠っている。
うん、と返すと慎太郎は僕の手を握って「はい」と言ってまたすぐに眠った。すー、すー、という寝息と奥歯でギリギリという音を同時にたてた。しばらく次の寝息を探しても、なかなか合わせられなかった。

昔好きだった人とも、ほとんど同じようにして眠った。
ヤガワヒロノブは、三つ上のエンジニア職の男だった。肌が白くて濃い顔の人だった。目の周りを覆うまつ毛の一本一本が長くて、逆さまつげを見つけるたびに目に入っていそうで痛そうだと思った。男らしいがっしりした体つきに似合わず、ぱっちり二重のヤガワはそれでも自分の二重を気に入っていると言っていた。
ヤガワとはSNSで知り合った。言い寄ってきたのはヤガワの方からで、最初プロフィール画像を見た時、白いゴリラみたいだなと思った。
「けーとくん初めまして。いきなりすみません!可愛いなと思ってずっと気になってました。よかったら仲良くしてください!」
ヤガワと初めて会った日、僕たちは食事をして、その後IKEAをぶらぶらした。まだ出会って間もないのにヤガワと僕はモデルルームを眺めて生活を想像した。
「こういう雰囲気、よくない?」
全体的に色調が統一されたベージュの部屋で、家族向けソファの端に腰掛けてヤガワは言った。もう長いこと付き合っている恋人に言うみたいで、困り笑いをする他なかった。
ヤガワの仕事終わりに会ったので彼はスーツ姿だった。仕事終わり同棲する部屋に帰ってきたヤガワを見ているみたいだった。
「けーとくんはこういう部屋住んでるでしょ」
ヤガワは彼の左側をぽんぽん手でたたいて僕を隣に座らせた。初めてヤガワの近くに座って、香水をつける人なんだ、と思った。ネクタイを緩めて、腕まくりをしたヤガワはソファに体を預けて「今度住むときはこういうソファにしようかな」と言った。
ティッシュを丸めたみたいな吊り下げ照明に照らされているヤガワはソファで寛ぐゴリラにしか見えなかったけれど、このまま肩を寄せられたらいいのにと確かに思った。そのときの彼の横顔で、この人のまつ毛はこんなに長いんだと思ったのだった。
僕たちは2つ入りのコルクのコースターを買ってそれぞれ1つ待って帰った。IKEAを出る時に小さな50円くらいのソフトクリームを食べたがった僕をヤガワは可愛いと言ってソフトクリームを買ってくれた。
スーツ姿のヤガワが大きな手で小さなソフトクリームを食べているところがアンバランスで良いなと思って、今度は私服でデートしたいなと思ったのだった。
そのあと2回くらい、ヤガワの休日に合わせて僕らは出かけて、3回目のデートで彼の家に泊まることになった。
ヤガワの部屋はIKEAのモデルルームとはやはり全く違った。駅から徒歩10分、住宅街に連なる感じの良い築浅の1Kで、玄関を入ると自動の消臭芳香剤がプシュっとスプレーを吐き出した。
部屋の明かりも壁紙も全体的に白い部屋だった。フローリングの上に緑色のラグが敷かれていて、そこだけ人工の植物が生えているみたいだと思った。一人暮らしにしては大きいテレビの前に、杢目のローテーブルを挟んで2人掛けの黄緑色のソファがあった。その傍に敷布団があって、きれいに整えられていた。テレビ横には金属製のラックがあって、大きなガンダムのフィギュアが飾られていた。ヤガワは「大したファンでもないんだけど、学生のときに思い切って買っちゃったんだよね」と言った。他には、ヤガワが親近感を抱いて少しづつ集めているという、くまのプーさんの雑貨やタオルがところどころにあった。20代後半の男性の部屋にしては学生じみていけれど、とても清潔な部屋だと思った。
ヤガワの部屋のソファにどきどきしながら座って、テレビを眺めたりNintendo Switchで遊んだりした。それからお酒を飲んで酔ったふりをして手をにぎって、キスをしてセックスもした。もう僕はほとんどヤガワの恋人になったつもりになった。
それから何度も、静かに眠るヤガワのまつ毛を数えたり、脱毛でつるつるな彼の肌を撫でたり、彼の寝息に合わせて自分も眠った。

ベッドから抜け出しても慎太郎は起きなかった。
「はい」と言って繋がれた手は10分もすると握力を失ってふやふやになった。指を絡めてもただあったかいだけで、僕はベッドから抜け出した。
音を立てないようにリビングの電気をつけて、テーブルに置きっぱなしなしていた汚れた皿たちをシンクに集めた。向こうの部屋からは慎太郎のいびきが聞こえる。
T-falでお湯を沸かしている間、ヤガワのアカウントを検索してしまおうかと思った。ヤガワはSNSでハンドルネームを使わずに苗字をカタカナでアカウント名にしている。検索バーにヤガワと入れるとすぐにアカウントが表示された。3文字で好きだった人にアクセスできることを便利とは思わないけれど、フォローを外してから何度も僕はそれを見ている。
『気づけば3年記念日』
最新の投稿のいいね数は2だった。写真も何もない文字だけの投稿で、その前の投稿は『おしおわ。脱毛行く』と1週間前にも見たものだった。
1ヶ月前、ヤガワはフレッドペリーのポロシャツを着た自撮りと、高級らしいホテルの部屋の大窓の前で彼氏と並んでいる写真を投稿していて『誕生日!30代になっちゃった』という文章が添えられていた。少し太ったような気がする。顔つきは出会った頃とほとんど変わらないように思えたけれど、実際に会っていたのはもう3年も前のことだから本当に他人のように思えた。
ヤガワの彼氏は顎がしゃくれていて、右頬は激しく荒れていて赤くなっている。写真の中で彼らはこれでもかというほどくしゃくしゃにして笑顔でいた。
「この子かわいくない?けーとくんと同い年だって」
初めてヤガワに彼の写真を見せられた時、うまく頷けなかった。目が細く、笑った顔が穏やかそうに見える所謂癒し系な印象だった。無邪気にひらいた口から覗く歯並びはがちゃがちゃだった。ヤガワが言うには彼の職業は看護師で、身長は180センチを超えているらしい。甘えん坊で、喋り方がまるでプーさんみたいだと。ヤガワは地元の宮崎に帰省した時にSNSでやり取りをして彼と出会ったのだそうだ。
「ヒロくん童顔な子好きだもんね」
そんな風に返したことを思い出した。
もしかしたら、ヤガワは慎太郎のことも可愛いと言うだろうか。
T-falからマグカップに熱湯を注いだ。慎太郎の家にもとからあった真田幸村のマグカップは薄っぺらくて熱い飲み物を飲むのには適していなかった。暑過ぎて舌が火傷しそうだった。


②につづく

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