スーツを捨てた日

今まで会社で働くキャリアウーマンに憧れを抱いていた
バリバリ仕事ができるって素敵
なんかかっこいい
これが成功してる人なのか
そんなことを思っていた


だから都会に行きたかったし
だから秘書検定もとったし
だからスーツに憧れた


そんな学生時代に就活用にと買ってもらったスーツ

スーツを着られるようになった自分が嬉しくて嬉しくて
着ては脱ぎ、脱いでは眺めていた


そんなスーツを今日手放した
スーツだけじゃない
たくさんの服にもさようならした


社会に出ると、みんな華やかな服装で
私も必死で合わせようと
似合いもしない服を買って
背伸びをしていた

高い服なんて買えないから
どうにかこうにかきれい目な服を選んで
たまにスーツも着て
なんとか周りに溶け込もうと
頑張ったつもりだった

実際は服にも化粧にも無頓着で
何もわからなかったし
興味もなかった

人から”不潔だ”と思われないようにと
それだけを心がけていた

その鎧がスーツだったのかもしれない
これさえ着ていれば間違いない
ある意味お守りのようなものだった


だけど、今ではもう全く着なくなった
もう10年くらい袖も通してない

お守りだからと
大事に大事にタンスにしまっていただけ


断捨離をみんなでしようとしたこともあった
だけど、できなかった
どうしても捨てる分類に分けても部屋の片隅に追いやるだけだった

「もう捨てていい?」
親に聞いてみた


買ってもらった手前
どうしても自分じゃ決められなくて
許可が欲しくて親にすがった
すると、親の機嫌が悪くなった
あ、私と同じかもしれない

スーツがあれば面接に行ける
スーツがあれば仕事ができる
スーツがあればどこにでも行ける
スーツがなければ何も始まらない

そんな価値観が
きっと親にとっても、ある種呪いのような縛りになっているんだろう


うまくいく保証なんてどこにもないのに


すがり付いていたのは
しがらみだった
幻想だった
思い込みだった


私にはもう必要ない
だって自分は自分のままでいいんだって思えたから

仕事をしていない今
内定を蹴った今
人生を学び直している今
はたから見れば遊び暮らしている
そんな私にはもう必要ない


ここでお別れしよう
そう決めた

一着一着に「ありがとうございました」
と自然と口から出てきた言葉に
自分で驚いた


不思議と「また着るかも!!」という焦りはなく
すっと手放すことができた


ものがなくてもなんとかなる
と今年に入って行動したことで学んだことも大きかった

「midoriさんにスーツは似合わない」
と言ってもらえたこともとても大きなことだった

まるで、これからの人生は自分で好きなように生きていいんだよ
スーツを着て、みんなと同じようにしなくていいんだよ
と許可をもらえた気がした


本当に今までの葛藤はなんだったんだろう

考えても考えても答えなんて出ない
自分がいいよっていうまで終わらない
それを実感した私にとって本当に
心が軽くなる出来事だった


なんだかクローゼットだけじゃなく
心も軽くなってきた❤️

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?