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後世に“私”という存在を広める方法

急に驚きますよね。こんなこと言い始めるなんて。

私を知ってる身近な人ほど、こんなこと思ってるなんて思ってなかったと思います。笑

ただ、最近真剣に考えるようになって、
やっぱり人生って短いなーと。

その短い人生の中で、政治、芸術、音楽、文化等と教科書に載っている人や、記事が掲載されている人
いると思います。

格好良いなって思ったんですよね。

同じような時代は生きてないけれど、その短い寿命の中で名を馳せられた人が格好良くて眩しい。

実際、自分自身、“記憶寿命”っていうのはあると思っていて、
お墓も大抵、親族がどんどんいなくなってしまったらだれもお墓に来る人がいなくなってしまうじゃないですか。

そして、思い出してくれる人さえいなくなってしまうかもしれない。

そして、生きてたっていうありとあらゆる証さえ、消えてなくなってしまう。

(お盆だからなおさら思いました。)

私は人より生存意識が高いのかもしれません。
自分の寿命も記憶の寿命も少しでも人よりながーくながーく生きたいんです。いま。笑

なんでこんなこといま思ってるかというと、
自分の大学の祭のパンフレットやポスターの絵を挑戦しようとしていたら、いま目の前にある目標が近づいて来てしまったという。

いわゆる、私の長い長い長期的目標の前に、目の前の中長期目標が立ちはだかってしまった。みたいな。就職活動のことですね。はい。

せっかく、自分の思想や発想をばらまけるチャンスを逃しそうで、くやしくて、このテキスト書いてます。

いっちばんくやしいのは、
死ぬ気でやる前からこの決断を下していることです。

こんなもんだったのかと、いやでも思ってしまいます。優先順位ってやつですね。

ただ、これは私にとって転機です。
だって、死ぬ気で将来やりたいこと見つけようと思えたから。

やりたいことに時間を使えるくらいの人生をかけて、見つけて、やりきってやる。

私の“記憶寿命”を少しでも延ばせるような、

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