不要不急の僕たちは。

自慢ではないが(いや、本当に自慢にはならないのだが)、僕は、子供の頃から今に至るまで、これといって特長がない、というか、他の人と較べてものすごく秀でたところ、際立つところのない人間として生きている。これまでの人生はそうだったし、今後の人生についてもきっとそうだ。  
  
僕は今、古い雑居ビルに事務所がぽつんとあるだけの小さな会社に勤めている。作業はテレワークで行い、ほとんと自宅で仕事をしているのだが、そのおかげなのかなんなのか、自分の体のゆるみ方がハンパないことになってきている。もともとメタボ検診でひっかからない程度にゆるんだ身体ではあるのだが、そろそろ手を打たないと、人間としての輪郭を失ってしまうかもしれない。  
会社員として特に仕事がよくできる、ということもなく、どちらかといえば目立たないほうなのではないだろうか。  
  
子供の頃にしたって、特に学業が優秀ということはなかったし、もっといえば体育系の科目はまったくできなかった。名門と言われるような学校に通ったこともなく、中学生の頃は顔面をおおう大量のニキビに悩まされていた。  
  
……というように、とりたててどうということのない人間である僕にも、少しは友人と呼べる人間がいる(加えて言うならば、友犬と呼べる犬もいる)。その中には、腐れ縁のように長々と付き合いが続いている友人も、ある時までは熱心な交流があったものの、いつの間にか縁が切れてしまった友人もいる。  
ある人との縁が切れるタイミングと、新しい友人との縁が生まれるタイミングは連動しているわけではないから、最新友人リストが非常にさびしくなることもあれば、なんだかずいぶんとにぎやかだな、ということもある(まあ、それにしたってささやかなものなのだけれど)。  
  
腐れ縁の友人も、過去の友人も、僕の友人たちはみないい人たちだ(と思う)。  
「いい人」にしても「悪い人」にしても、その定義にはいろいろと種類があるかもしれないが、とりあえず僕の友人たちの中に、すぐに暴力をふるったり、ひどいことを言ったり、地球征服を企てたりするような人はいない。  
  
ここ最近、といってももう一年以上になるけれど、友人たちから連絡が来ることがめっきり少なくなってしまった。かろうじて「皆無」と言わなくて済む程度、というところだろうか(もともと友人の数が少ないから、このことに気付くのにずいぶん時間がかかってしまった)。  
たまにこちらから声をかけてみても、返事がなかなかなかったり、やりとりが長く続かないことが多い。  
  
たぶん、友人たちもこのご時世の中で、ばたばたと暮らしているのだろう。いわゆるコロナ渦という状況の中、多かれ少なかれこれまでとはどこかが変わった生活をしているはずだ。  
そういう落ち着かない日々の中で生きているのだから、僕の相手などしている場合ではない、と、我ながら思う。  
  
自慢ではないが(いや、本当に自慢にはならないのだが)、僕の相手をしたところで、生活や生き方に役立つ知恵を授かることはできないし、それがたとえどういう分野のものだったとしても、最新の情報や流行について知ることもできない。基本的に金銭に縁のない人生を送っているので、金のかかる話もご法度だ。そういうふうに考えると、おそらく僕は、不要不急を擬人化したような人間なのである。  
ごくまれに、僕の話が面白いと言ってくれる人がいたりするのだけれど、僕としてはそれはちょっと違うのでは、と思っている。僕が常日頃、しくじったりつまづいたりしがちなので、日々の行動をそのまま話しただけで、それが滑稽な物語に聞こえているだけなのだ。  
  
だからまあ、非常事態宣言が延々と続くこの世界では、僕や僕からもたらされるものの優先順位はあまり高くないのである。本人が言うのだから間違いない。  
……というようなことに気付いたときの感想は、悲しいとかさみしいとかいうようなものではなく、「なるほど」であった。なんだかものすごく腑に落ちてしまったのだ。  
  
あちらこちらにぽつぽつと存在する友人たちが、心身ともに(なるべく)健康に、(なるべく)心おだやかに過ごせているといいなあと思う。  

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