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この恩は忘れない

相手方は覚えていないだろうが、自分にとっては忘れられない恩、というのがある。

高校一年の頃、家庭科の授業でミシンを使う課題があった。
当時から不器用で要領が悪かった私は、先生の説明を聞いても全く理解ができず、完全にお手上げでほとんど半泣き状態になっていた。

たまたま同じ班にサクサクと自分の作業を終わらせていた男子がいたのだが、私の様子を見かねたのか、「手伝おうか?」と申し出てくれた。

私は半泣きのまま彼にお願いしたのだが、「女子なのにこんなのもできないとか情けないよね」(まだまだ、モテ女子は家庭的!の記事がティーン雑誌の特集になっている時代だった)とションボリしていると、彼は「別に女子だからとか関係なくね?」と笑った。

「オレの中学は家庭科厳しかったから、たまたまやり方を覚えてただけだよ。別に気にすんなよ」

彼は同じ部活の仲間でもあったのだが、部活はサボるし練習中に居眠りはするしという感じであまり熱心に取り組むタイプではなく、部員の中には、彼をあまり好意的に見ていなかった人もいたようだ。

しかし、この出来事の後、私はそんな彼を責める気にはならなかったし、陰口を叩く気にも到底なれなかった。
彼に借りができたから何も言えなくなったという意味ではない。

彼に対して大きな恩があったからというのもそうだが、彼の圧倒的に良いところを、ちゃんと知っていたからだ。

このことを、それから10年後くらいの友人の結婚式で再会した際に彼に伝えたのだが、「えっ?そうだっけ?全然覚えてない」とやや当惑した様子で笑っていた。


こんなこともあった。
大学時代、学生オーケストラで活動していた頃の話である。

ある交響曲で、私にソロパートが回ってきた。
プレッシャーに弱い私はソロを非常に苦手としていたのだが、それではダメだと自分なりに奮起し、熱意をもって練習に励んでいた。

ソロパートはゆったりとしたテンポのメロディックなものだったため、「充分に歌う」ことが重要なフレーズだと思われた。

クラシックなのでもちろん変なアレンジなどは加えないし、譜面を正確に演奏することが第一ではあるのだが、自分なりに「美しいメロディーラインをよく響かせよう!」という心意気で合奏練習に臨んでいたところ、指揮者(その本番のために呼んでいたプロの指揮者。常任指揮者を置いていないオケだった)からダメ出しを受けた。

「そういう余計なことしなくていいから。普通に譜面通り吹いて」

「いや、私はこう吹きたいんです!!」などと主張することなどできるはずもない私は、またしてもションボリし、はい…と返事をするだけであった。

そして、本番前日。
ゲネプロの準備をしていると、他のパートの先輩がすすすと寄ってきて、ニヤニヤと笑いながら小声で言った。

「指揮者にどう思われようと、本番はやったもん勝ちだよ。あのソロは◯◯ちゃん(私)のソロなんだから」

その先輩は、普段から口数は多くないし決して目立つタイプでもないが、いい意味で周りの人のことをよく見ているなという人だった。

落ち込んでいる時やうまくいかない時に、いつも絶妙のタイミングで声をかけてくれる人だという印象があったため、この時も、さすが先輩らしいなぁ、と思いつつやはりとてもうれしかった。

結局、チキンな私は本番で「やったもん勝ち」はできなかったものの、この時の先輩の言葉は今でも心に残っている。

これらのほかにも、忘れられない恩や心に残っている言葉というのはいろいろある。

私が何気なくかけた言葉も、誰かにとっての小さな宝物になっていたりするのだろうか?
もしもそんなことがあったとしたら、それはとてもうれしいことだなあと思う。

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