試合は終わった

※長文になると思います。

すでに5日経過したにも関わらず、まだ俺は進むべき一歩を踏み出せていない。

俺の魂はまだ埼玉スタジアムにいるみたいだ。

進藤選手が蹴った力のないボールは新井選手に難なくキャッチされた瞬間、試合は終わった。

試合中は泣きっぱなしだった。

でも試合が終わったあとは不思議と涙は出なかった。

あー、終わったんだなと呆然と焦点が定まらない視点でピッチをぼんやり見ていた。

今こうして札幌にいる。

どうやって帰ってきたのかは覚えてるけど覚えていない。

昨日も普通に飯を食って、仕事をして、寝てと日常生活を送っているんだけど、昨日何をしたかは覚えてるようで覚えていない。

帰る最中も、一昨日も昨日も今日もふと我に返るとむくむくと色んな思いが吹き出す。

勝てた試合だった!でも素晴らしい試合だった・・・

あとほんの少しで勝てたのに!でも川崎は強かった・・・

ようやくファイナリストになったんだな!でも優勝できなかった・・・

俺の心はプラスとマイナスを完全に振り切って揺れ動いてる。

でも、もう名古屋戦がすぐだ。

もちろん切り替えなんてできっこない。

切り替えようとも思わない。

時間が経てば少しずつ心の揺れは収縮していく、それまでこの気持と一緒に連れ添って歩こう。

いい年したおっさんがこんな乙女みたいな揺れ動く気持ちを味わうことなんて、こんなことがなきゃ絶対なかったんだし。

ということで、ここまでプロローグですw

2019年10月26日ルヴァンカップ決勝を観戦したときの記録です。



ルヴァンカップ決勝は2019年10月26日に行われた。

ただ、俺のルヴァンカップはもっと全然前から始まっていた。

意識し始めたのはノックアウトステージ進出くらいからだけど、それだと流石に長すぎなので、準決勝のガンバ大阪戦からにしとく。

ガンバ戦の前からチケットだけは抑えてた。

ただ、移動手段は確保していなかった。

武蔵の劇的な芸術的なゴールで勝利を収め試合後感極まって泣いていたが、試合終了直後、確か15時3分には泣きながら飛行機のチケットを抑えたw

実はアウェーは行ったことがなく、今年は絶対アウェー行こうと決めていた。

飛行機チケットを取得してから試合当日までのワクワクドキドキ感は本当に夢のような時間だった。

小学生の頃の遠足前のドキドキ感が2週間も続くんだからたまらないよな。

初アウェー観戦、初ファイナル、そして舞台はあの埼玉スタジアム・・・

漲らないとか無理に決まってる。

相手は川崎だから勝てる確率は相当低いのはわかってる、でも不思議と負けることをあまり考えていなかった。

で、試合前日。

まー大変だったw

飛行機で成田に行ったのですが、大雨で到着が遅れる。

着いたらJRは動かず、京成は超長蛇の列。

でも待てば多分なんとかなったんだよな。

ただ、俺はとても漲っていたw

あと、モバイルバッテリー持ってったんだけど、機内持ち込みできないと言われ、充電がなくなるのが目に見えてたw

うーん、どうしようと考えた結果出した答えがレンタカーw

やめときゃよかったwでも借りちゃった。

その時はいいアイデアだと思ったんだけどねー。

車で充電できるし、ちょっと寄り道して観光できるかもとか思ったし。

だけど運転し始めてすぐ誤った判断だと痛感しました。

観光とか絶対ムリ。

街は水没していた。

よくニュースで見るマンホールから水が噴水のように吹き出してる光景とか、アンダーパスっぽいところに水が溜まって車が動けないような場所とかが至るところに発生。

結構な水たまりに突っ込むと車って全然動かないんっすね。

そんときにでっかいダンプが横を突進すると横から滝のような水が延々と降り注ぐ。

俺溺れて死ぬなと本気で思った。

まじでやばい状況だったので、持ってきたタブレットをスマホのテザリングで接続し、ヤフーの雨雲レーダーで少しでも雨の弱そうなところにカーナビだよりで突撃。

でも首都圏というか、本州の方って平気で行き止まりとかあるんっすよ。

普通の道のつもりがいつのまにか誰がどうみても私道だろって道に変わったりとか。

そういうとこってUターンもできなかったりするんで糞大雨のなか200Mくらいバックで戻るとかほんとに泣きそうだった。

でも、飛行機欠航で来れなかった人もたくさんいたはず、その人達に比べれば俺は全然幸せ。

大変だったけど7時間くらいかけてようやく埼スタに到着。

あたりは真っ暗だったけどほんのり赤くライトが光る埼スタはほんとにきれいだった。

決戦は明日、疲れはしたけど全然平気。

その日は酒も飲まずに大宮に泊まりました。

で、全然寝れずw

ベッド入った時点で、あ、これだめだなってわかった。

なんか体中をアドレナリンが回ってて細胞一つ一つがドクンドクンと脈打ってる感覚があって寝るのは諦めw

同士のtweet見てなんとか一人でも無事に埼スタにつくよう祈りながら空を眺めてた。

で、試合当日。

浦和美園駅を降りて埼スタに向かう。

駅から埼スタは福住からドームより遠い。

大谷地から厚別くらいあるかな?

思ったよりのどかな感じでとても天気が良かった。

道中、多分すすき?だと思うんだけど、茂った場所があってそれを眺めてると今までのことが頭の中を走馬灯のように駆け巡っていた。

俺がコンサドーレのサポーターになったのは2000年から。

東京に住んでたけど、札幌に帰ってきてコンサドーレサポに。

2000年はエメルソンや現社長を有しJ2優勝を果たした年だった。

当時はサッカーを全然わかっていなかった。

予算規模とか、フロント力とか、ユースの育成とか、補強方針とかそういう裏側は全く見えてなく、いい選手がいれば勝つ、札幌より田舎なところには負けない、そんなくらいのイメージだった。

2000年は見事に優勝し、J1昇格、あの年はほんとに強かったから優勝なんてすぐ手が届くところにあると思っていた。

2001年はエメルソンを引き抜かれたけどウイルがいてJ1残留。

でも残留なんて特別なものとは全く思ってなかった。

11位という数字も全然もっともっと上に行けるはずなのに、こんなはずないのになーって。

その考えは翌年以降完全に間違いだったと思い知らされた。

監督が抜け、選手が抜け、クラブは虚勢を張り身の丈以上のものを欲する。

2000年、2001年の成功体験があるばかりにこんなはずじゃないのにと実力もないのに結果を求める。

2000年、2001年は全ての博打に勝ち、奇跡的に歯車がピタッと噛み合いなし得た成績だった。

そこからの札幌は長らく低迷を続ける。

不幸自慢をするわけじゃない。

多分どこのサポーターだってうちのチームも苦しかったんだよって言うと思う。

どんなチームも苦しい時期はあるけど、札幌はほんとに色んな失敗をしてきたと思う。

結果だけを求めてのレンタル、昇格後即レンタルバック。

予算を考えずなんとかなるさの補強。

その後の予算縮小。

現役選手、期待のユース選手、社員の不祥事。

知名度重視の監督選考。

まだ降格がない時期だったけどJ2最下位。

いや、2004年は天皇杯よかったからまだよかったか、その後のほうがしんどかったな。

たまに昇格するけど昇格後の試合は観戦しているのにほとんど覚えていない。

初戦で鹿島にこてんぱんにやられたのだけは覚えてるけど、あのシーズンって俺何見てたのかな。

あえて暗黒期というけど、そんな糞みたいな時期でもチームのために一生懸命戦ってくれた選手はたくさんいた。

ソダン、砂川さん、かずー、元気、大塚、芳賀、クライトン、岡本、前俊・・・

ユースの新居、石井ちゃん、藤田、西・・・

成績はほんとよくなかった、でもみんなチームのために一生懸命戦ってくれた大事な仲間だ。

あのときがあって今がある。

順風満帆な、でかい親会社のいるチームじゃ分からないたくさんの辛酸をなめてきた。

自虐的に下り最速とか言ってたさ、得失点差は当分破られそうにない−63とか不滅の記録を樹立したさ。

でも、札幌は絶対いいチームになるってずっと信じてた。

こんないい街にあるチームなんだもん。

俺が大好きなこの街のチームなんだ!

食い物はうまくて、空気はきれいで、冬はちょっと寒いけど何よりみんな気持ちが優しい人たちばかりだ。

ほんとに札幌の人はあったかいんだぜ。

歩きながらすすき越しにスタジアムが見えてきた。

それを見ながら最近のことも噛みしめる。

現社長が就任してから今までの失敗を糧に札幌は成長してきた。

フクアリの河合からのうっちーのゴール、大雨の中気合のサポーターが勝たせたアウェー東京戦、残留決めた清水戦、全部アウェーだったな。

今日ようやく俺もアウェーで観戦するんだ、サポーターとしてよりチームの一員になれた気がするや。

昨年はほんとに素晴らしい一年だった、最後あと一歩、ほんとにあと一歩のところまで来たACLをかけた広島戦。

あの時はほんとに悔しかったけど多分ふわふわしてた。

今日は絶対勝つ、俺が、俺たちが勝たせよう!

1ミリだって昨年の広島戦みたいな浮ついた雰囲気は出さん、死ぬ気で応援しよう。

コンサドーレが優勝した瞬間死ねたら本望だ。




埼スタに到着してからはずっと泣きっぱなしだった。

サポの先頭が入場する時アイーダを歌いながら入っていきそれを聞き泣く。

入場後スティングの一発目で泣く。

アンセムで泣く。

選手入場で泣く。

国歌斉唱で泣く。

キックオフで泣く。

そこからは死ぬ気で応援した。

3日間声は出なかった。

全てを出し尽くしたと思う。

普段だったらトラップミスったり、シュート外したりしたら

あーぁとため息をついたけど、絶対ネガティブなことは言わないと決めていた。

次!次!

切り替え!切り替え!

諦めるな!

周囲も同じだった。

サポーターも選手も札幌に関わる人たちは完全に一つになってたと思う。

勝ちたい、勝たせたい、勝つ姿がみたい、共に喜びたい。

そのために自分ができることを精一杯しよう。

全てを今出しつくそう。

あのときの札幌というチームは世界一のチームだった。

バルセロナより、リバプールより最高のチームだった。

後半終了間際に逆転されても誰一人下を向くやつはいなかった。

札幌に関わる人全てが誰も諦めていなかった。

最後のコーナーキック、絶対入ると信じていた。

世界で一番素敵なチームが世界で一番の応援を受けて世界で一番店を取りたいと願った結果なんだと思う。

点をとった瞬間喜びは爆発した。

もう何度目になるか、周囲の見知らぬ人たちと抱き合い、ハイタッチし、吠えて号泣した。

延長になって福森のフリーキックも入る気しかしなかったなー。

でもあの時、勝てるかもってもしかしたら思っちゃったのかもしれない。

PKのときは逆サイドというのが厳しかった。

選手とサポーターが一体になりきれなかった感じで選手だけで戦わせてしまったように思う。

そして、進藤が蹴った瞬間試合は終わった。






たらればとかの話はいい。

ハンドとか、ゴールライン踏んでなかったとかも言うのやめてほしい。

最高の試合だった。

今までの観戦試合の中で一番印象に残る試合だった。

でも勝てなかった。





木下はるかさんというお天気コーナーの子が言ってたのと同じ気持ちだった。

こんな最高なチーム、こんな最高なサポーター、対戦相手は最強の川崎。

もう2度と同じシチュエーションはない。

だからこそ勝ちたかった、勝たせたかった、宮澤にカップを掲げさせてあげたかった。

でも勝てなかった。





そう俺たちは勝てなかった。







呆然としながら中村憲剛が風呂桶をかじっているのを見ていた。

川崎サポーターは嬉しそうに知らないチャントを歌っていた。

札幌サポーターはうなだれた選手たちによくやったと声をかけていた。



勝負事は勝者と敗者がいる、今回札幌は敗者だった。

切り替えなんかしないぞ、ずっと引きずっていく。

勝つまで引きずるぞ。

埼スタに魂はおいてきた。

でっかいでっかい忘れ物をあえてしてきたんだぜ。

絶対取りに帰るからな。

引きずった分だけ利子つけて返してもらうぞ。

待ってろよ、川崎。

待ってろよ、ルヴァンカップ。

待ってろよ天皇杯。

待ってろよJリーグ。

絶対に、絶対に死ぬまでに全部とってやるからな!


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