塔2024年7月号気になった歌10首③
春休みのような長期休暇は、子どもにとっては天国だが、親にとっては、VS献立一日三回サーキットトレーニングというスーパーハードタイム。そんな中、どんぶりの中ですべてが完結し、ボリューム感があるとともに、洗い物も少なくするどんぶり物は最強。さらっとある「一男三女」という大家族ぶりに敬意を表したい。
「構文を決め(る)」という言葉が印象的。何かを表現するとき、先にある程度の感想を決めてしまうようなことがある。これから出会う風を素直に感じようとするため、あえて構文を決めてはならない戒める主体の姿は真摯である。
他人に対して厳しい人は本当は自分に自信がないということがある。なりたい私になれないストレスを他人に向けてしまうのも人間。主体はそのことを自省的に詠んでいるが、このような態度は、誰にでもあることであり、心の動きの根底を理解しようとする態度が重要。
一連は主体の父親の死について読まれているもの。生前の印象的な父親を詠んだ歌が並ぶ中、地球規模の俯瞰の感覚が鋭い。亡くなってしまったことを「ふっと軽くなる」と表現しているところには、寂しさもあるがどこかホッとしたような感覚もある。
新物に目がない主体は、目が高い。ごぼうにじゃがいも、玉ねぎ、キャベツと、春に取れる新物はどれも味だけではなく春を食べているような楽しさがある。下の句の「春の来たればたんと新食む」もリズムも撥ねるようで楽しい。
大学4年生になった主体の生活を読む一連。本ばかり読んでいることをやや自虐的に詠んでいる。しかし、役に立つか立たないかわからない本をたくさん読める時間はかけがえのない時間。その価値があることを主体はよくわかっている。
正義は一つではない。頬杖に重い頭を預けながら、主体は理解できない正義について受け止めようとしている。しかし、頭が重くなってしまうのは、やはり理解できないのであろう。正義については、それぞれの立場や考え方によって異なるものがあるということもよくわかっていなければいけない。
司祭はキリスト教における聖職者。黒猫がやってくる様子を「司祭のように」と表現するところがユニーク。変電所という少し危なく機械的な設備からひょっこり現れてくる黒猫が、聖職者のようだという寓話性もある。
もう寝よう、寝なさい、寝ろと少しずつ強くなっていく言葉が、猫の手の圧から発せられているというのが、楽しい。初めは優しいが、だんだん厳しい言葉になっていくのは、まるで親のようでもある。読点があることで、自然とリズムよく内容が伝わってくる。
最高の歌である。主体はモフモフの犬の後ろから、モフモフの犬のお尻を見ている。そしてそのお尻から春を感じている。そう、春のようなお尻というのはあるのだ。しかも、桜の道の中を歩いていることで、より春を感じられる。そして、その犬のお尻は夏になれば、夏のお尻になるのだ。犬のお尻は最高だ。
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