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塔2024年4月号気になった歌10首①

カモミールティーを飲んだら家ぢゆうの埃はきつとシロツメクサに/小金森まき

塔2024年4月号若葉集

カモミールティーは、リラックスなどに効果のあるハーブティー。茶葉になっているカモミールは、低い丈の群生する草から咲く白い花が印象的。リラックスした気分になりながら、埃がカモミールそのものではなく、身近なもので似ているものであるシロツメクサのイメージでとらえられているところがおもしろい。

このひとはきっと人間を好きなひと私はそれがひどく寂しく/石田犀

塔2024年4月号若葉集

二種類の読みが浮かんだ。
相手が根っからの人間好きである様子を見て、同じような人間に対する関心を持てない自分に対してのマイナスな感情を持ったというもの。
もう一つは、相手に対して主体は好意を持っていて、主体に向けられた行為に喜んでいたら、それは自分に対して特別なものとして向けられていないことがわかってしまったというもの。
根っからの人間好きの人というのは確かに存在していて、そういった人に複雑な感情を抱くことに共感した。

街灯が消失点まで続くとき 前世はそうだカヌーに乗った/藤田エイミ

塔2024年4月号若葉集

消失点は、遠近法で用いられる平行な直線が集まる点。主体が夜道を歩いていて、左右の道に等間隔で点く街灯が遠くで一点に交わるような印象。下の句は、細長いカヌーが川を下っていく様子が、夜道を消失点まで吸い込まれるように歩く主体に重なる。それがあまりに自然なもので、前世の記憶が蘇っているようだ。

定食屋のテレビみたいに十五階のビルから眺めている積乱雲/古井咲花

塔2024年4月号若葉集

積乱雲は、ゲリラ豪雨などの前触れになりうるもので、主体はなんとなく気になっている。その気になり度合いが、定食屋のテレビに例えられているのが絶妙で、オフィスワーカーとして、天候が多少悪くなることはそこまでの関心ごとではない。都会的な感覚。

そのために調合された絵の具には映画の名前が冠されており/音羽凜

塔2024年4月号若葉集

映画の名前を冠する「ため」に調合された絵の具にどこか寂しさを感じた。絵の具は、絵を描くため、色を表現するために作られるものであり、映画のPRやグッズとして生み出されていることに商業的なドライさを感じる。

進級時かだんに見える花畑その中にさく一本の春の花/川村千晴

塔2024年4月号若葉集

結句の字余りが大胆。「一本の花」とすれば7音だが、「一本の春の花」を10音とすることに主体の強い気持ちがある。たくさんの花がある花畑の中で一本の春の花が主体の目に留まったのだろう。進級という環境の変化の中で、一本でも強く咲く春の花に勇気づけられているよう。

ゆるぎないみずうみだった 永遠は何処にもないと気がつくまでは/篠本乃宇

塔2024年4月号若葉集

詠まれていることを解読すると、永遠があると考えていたときは「ゆるぎないみずうみ」だったが、永遠がどこにもないと気が付いてしまって「ゆるぎないみずうみ」ではなくなってしまったというもの。「ゆるぎないみずうみ」は主体自身の感覚だろうか。今の価値観や生活がずっと続くという感覚が崩れてしまったことで、絶対的に信じていたものが崩れているような描写が印象的。

シュトーレン切り分ける音は雪道をザクザク歩く音に似ていて/玉眞味和

塔2024年4月号若葉集

表面に粉砂糖がかけられ、味だけでなく独特な食感も楽しいシュトーレン。粉砂糖の白と雪の白が重なりながら、シュトーレンを切り分ける美味しい音が奏でられる。切り分けていくという進行の時間の動きと雪道を歩いていく時間の経過が重なっていて、イメージの比喩としても巧い。

祖父の出す「ねえさん」という音あたたかく そのねえさんはお産で死んだ/細尾真奈美

塔2024年4月号若葉集

上の句の暖かいイメージから、下の句の事実の重さが際立つ。祖父の「ねえさん」は、胎児として亡くなってしまったのか、母親としてお産をした際に亡くなってしまったのか、どちらにしてもつらい事実であるが、祖父の声にその「ねえさん」を弔うような深い暖かさを感じる。

チャーシューを煮るのが上手い人だった手を抜くことを嫌った君は/三好碧

塔2024年4月号若葉集

私も昔チャーシューを作ることにハマっていた時期があったが、チャーシューづくりは大変だ。こだわろうと思うと、脂の入り方を見ながら肉を選ぶことから始まり、ひもの結び方、あくの取り方、煮込み時間、味付け、どこまでも手間をかけられ、そして、手間がかかるほどおいしいのだ。下の句で、その人が「君」と呼称されることで、主体となんらかの関係がある者であることが示されているが、感情そのものは明示されていない。しかし、「手を抜くことが嫌い」という性格に起因してなんらかの感情があるのだろう。なお、私は、日々手を抜いて生きることばかり考えている不届きものなので、もう何年もチャーシューを作っていない。

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