塔2024年7月号気になった歌10首⑤
ネギ焼みそ汁。なんと甘美な響き。レシピを調べると、焼き目からは香ばしい香りがするとともに、内側にはとろけるような甘みがあるということだ。このレシピを四十年間も知らなかった私の人生は、今年をAN(After Negiyaki miso soup)元年とし、昨年までは、BN(Before Negiyaki miso soup)〇年として暦を数えることになった。
そう、野菜炒めは火加減を食べているのだ。あのしゃっきりとしたもやしは火力の強い中華鍋だからこそできる技。家だとどうしても少しべちゃっとしてしまう。その野菜炒めの食感を食べるという主体はかなりのグルメマスター。「シャッキリ!」という元気な言葉が吹き出しから飛び出しているような感触は、ギャグマンガっぽくて楽しい。
幻想的な歌。天井で回るプロペラに、店の空気だけでなく、店全体が空に運ばれていくようなイメージには、どこか実感もある。「ゆっくり」という時間の経過を指す表現に、店全体が少しずつ持ち上がっていくようなイメージがある。
一瞬の判断で生死の別れる戦場の感覚を、普段の生活の中で何気なく行っている二択の瞬間に当てはめているところが現実的であり、戦争自体も現実に起きていて私たちも当事者にすぐになり得るということを表している。一方で、どこかぼんやりとした印象もあって、そこが妙にリアルな感覚を現わしている。
つくば市流星台は、実際にある地名。どこか幻想的な地名に祈りを込めるという主体の動きが楽しい。かつ、見積もりを送っているということは商売相手になるかどうか、その見積もりで決まるということでもあり、ちゃっかり 商売をしているところもコミカルである。
畑に来る鳥が変化したことで季節を感じるという素敵な歌。夏になるから夏野菜を作るのではなく、夏野菜を作る陽気になったから夏野菜を作るという自然の変化に生活を寄り添わせる生き方がとても自然で素敵である。
職場では、かつては濃い人間関係のもとに、ときにはプライバシーに当たるような部分まで相互に聞いていたのに対し、現代ではハラスメントなどに気をつける中で、過度に私生活に関することを聞くことがタブー視され、相手が話すまでは話さない、聞いてはいけないという態度が求められる。一方、さほど聞いても問題のないことであっても、配慮の観点から質問そのものを避けることはままあり、とても現代的な場面に感じた。
半眼は、仏教用語で、瞑想中に目を半ばに開いているもの。仏像の目がよく半眼になっている。その半眼をコアラの目に当てはめるところが絶妙に適格。また、コアラの腹には、子供がいるのであろう。その膨らみが息をしているという生活感のある描写は、俗世を離れようとする半眼の姿とのギャップのある面白さがある。
花手水は、寺や神社などの手を洗うところにある水に浮かぶ花。「受け入れほかないものを浮かべて」というやりきれないような雰囲気には、人知れぬ孤独を感じる。美しい花手水との対照的な姿が印象的。
カタツムリがゆっくりゆっくりと苔を噛んでいる様子を見ながら、主体は静かな余生を望んでいるという。ゆっくりと苔を噛む姿とは対照的な人間のせかせかした生活や生き方・考え方が背景に浮かぶ。「しやこりしやこり」という擬音も印象的。
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